インフルエンサーの自覚

個人メディアの時代といわれて久しい。実際に個人がSNSや自身のサイトを通して発言力を持ってきているし、それ自体はとっても面白いことで、この先が楽しみである一方で、それだけの影響を与えているということを自覚して発信しているのかなぁと疑問に思うことも増えてきた。大手メディアは、これは良くも悪くもであるが、一定の倫理を持って統御なり規制なりしている。その統御なり規制の内容そのものが良いのかというと、まあ、正直とても難しい気はするが。ただ、少なくとも、一般大衆にある程度の影響力を持って発信するからには一定の統御なり規制なりが必要であるという視点があるのは、おそらく大事なことだろうと思う。

なんでこんなことを書いているかというと、ちょっと知っている人が、いま、インターネット上で袋叩きにあっているからである。彼に悪い部分はあったのだろう。また、よく思っていない人も多かったのだろう。だけど、「あいつは極悪非道な人間で、うそっぱちで、裁かれなければならない」という感じの論調に、わたしは悲しみを覚える。というのは、見ていると(見てるんだっていうw)、その人たちは彼のことを直接は知らないのである。袋叩きになったきっかけになった出来事に関わっていたわけでもない。

「(出来事について)真実が明らかにされるべきで、その真実に基づいて裁かれるべきである」という主張なら、わかる。でも、どうもすりかわっているように感じるのだ。「あいつは悪いやつだ、司法が裁かないなら、俺が声をあげて世論を動かそう」に。これ、いわゆる自粛警察と近いのですかね? 自分は絶対正しくて、間違ったことをしないという前提なのだろうか? それともこれを炎上便乗商法というのか。なんにせよ、わたしは悲しい。悲しいなら見なければいいだけで、見なくなったわけですけど、でもそれだけでは感情を整理できず、書くに至った。

わたしは、母とは折り合いが悪く、いろいろ葛藤があったのだが、でも振り返ると(母はいまも健在です)、母から教わったことで、いまもよかったと思っていることはいくつもある。そのひとつが、「知らない人の悪口は言わない、便乗しない」。AさんがBさんのことをどれだけ悪くいったとしても、わたしがBさんと会ったことがないなら、一緒になってBさんを悪いと言うな(思うな)、というようなこと。考えてみればまっとうじゃないですか? でも、意外とやれない。やれないからこそ、心がけてやってみるといい、そういう類の教えだなぁと思っていままで生きてきた。

わたしは、やっぱりどこかで、人を裁けるのは神様だけ、神様のような存在だけ、と信じている。人がとやかくいうことではないと。

そして、インターネットって広い世界につながっているようで、自分が見聞きする範囲は結局、限定されているのだということも忘れずにいたい。

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