好きなことを義務にしていないか

自分が好きで始め、好きで続けているのに、いつのまにかそれを「やるべき」という義務にしてしまうという思考の転換がわたしにはよく起こる。サーフィンも好きでやっているだけなのに、「サーファーたるもの毎日、海に行くべき」と自分にルールを課してしまったりする。怖いのは、ルールを課していることに気づかないということだ。特に昔はまったく気づけなかったので、疲れて嫌になって続けなくなってしまい、続けなかった自分が嫌になるという悪循環に陥っていた。しかし、いまは、気が乗らなければパスすることも許可できるようになった。そうこうしているうちに、疲れたり元気が出ないときはだいたい単に自分の中心にいられてないときだとわかってきた。あくまでもわたしは、だけど、疲れたり元気がでないとき、自分の思考の中を探ると、「べき」「べきでない」をいつのまにか溜め込んでいることが多い。ほとんどの「べき」「べきでない」はもともとは好きでやっていたはずなのに、知らぬうちに義務化しているのだ。ああ、おそろしい。しかし、気づくことはいい。気づいたら手放せる。するととたんに楽になる。

人生とは自分をマスターする旅路である、というようなことをだいぶ前に誰かから聞いた。そのときはふーんっていう感じだったけど、いまはなるほど、よく言ったものだと思う。もっといえば、自分をマスターして使いこなせるようになるほど、自分をより人のために使えるようになるのだとも思う。自分自分って自分ばっかりで嫌になっちゃいそうだけど、でも、自分を知って認めることができるほど、人に認めてもらうために自分を差し出すのではなく、使ってもらうために差し出せるようになるのではないかと。まあ、わたしは内向的だからそういうふうに考えるだけかもしれないけれど。でも、内向的であるという自分の特徴を知って生かすことができると本当に楽だ。

これを読んでくださっているセンシティブで内向的な若い女の子(かつてのわたしのような子)に言いたい。まずは自分に甘くしてあげていいんだよ、って。Believe or not、あなたのなりたいあなたは、あなたがなろうとがんばってもなれない。あなたのなりたいあなたは、あなたがあなた自身であることを許したとき、自然と出てくるよ。これ、20代のときに気づけて実践できていたらどんなに人生変わっていたかと思うわ。でも、この人生ではいまが一番若いから、文句言っても仕方ないですね。わたしにできることをやり、伝えられることを伝えるだけ。それを受け取る、受け取らないは自由で。そう、あくまでもすべては自分のチョイスなのだ。なので過去の自分のチョイスに文句言っても仕方ないですね。なんであれ一所懸命生きてきたことには変わりない。抱きしめてあげよう。

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