自分で選んだと納得する

ずいぶん前に起こったつらく悲しかった出来事を、ヨガの最中に唐突に思い出した。15年以上も前のことで、もうそこまでつらさも悲しみも引きずっていないし、その後の人生にも満足しているのだが、はたしてあの出来事はなぜ起こったのだろうと、ヨガをしながら思考は過去をしばし彷徨った。そしたら、ふと出てきた言葉がこれであった。「わたしはどのみち今の道を選んだであろう。ただ、『この道は自分で選んだのだ』と納得するためにその出来事が必要で、よって、自分でその出来事を起こしたのだ」。

もし漫然と生きて今の状況になっていたら、「もし、今と違う道を歩んでいたらどうだったろう」と時折思ったかもしれない。しかし、15年近く前にある出来事が起きて、もうひとつの道に進む扉が開いたとき、わたしはその道を行かないことを選んだ。もちろん、行かないという選択をせざるを得ない状況だったからなんだけど、でも、もし本当に本当に行きたいと強く思えば行くことはできたこともわかっている。だから、状況がそうだったというのは言い訳で、やっぱりわたしが選んだんである。つまり、今、歩いているこの道はあのとき自分で「選択した未来」で、言い換えれば「望んだ未来」なんだ、ということを自分で納得できるように、その出来事が起きた(もしくは起こした)、というのが今回やってきたインスピレーションであった。我ながらややこしい性質だな(笑)。

そういえば、そんなつらいときに、突然、東京のわたしのアパートに両親が遊びにきた、ということも思い出した。親ってすごいなと思うのだけど、くだんのつらい出来事よりさらに前、わたしが大学生で一人暮らししているときも、ひどくつらい状況のときに、両親は「ふらりと」「特に用事もないんだけど」「なにしているかと思って」とアパートにやってきたことがある。

わたしは親になることはなかったが、親にならなくても年齢を重ねたことで、ちょっとは親の気持ちがわかるようになった。特に母との関係はいろいろな課題があったけれども、いま思い出すと、つらいときにはなぜか父か母が(きっと第六感で何かを感じとって)連絡をくれたのだった。

そんなことをつらつら思い出しながら、この正月はお雑煮作ったり、おぜんざいを作ったり、バナナブレッドを焼いたり、キッチンでたくさんの時間を過ごした。わたしは料理好きとはとてもいえないし、料理上手でもないけど、「何がどのくらい入っているかわかるもの」を食べると安心感があるので、安心して食べたいから作る。一方、母は料理上手。でも、じつは料理が好きなわけではないんだと思う。実際、家族がいなければごはんなんて作らないとよく言っていた。母はきっといまのわたしと同じような気持ちで、家族に安心して食べさせたくてごはんを作り続けてくれていただけじゃないかな。毎日毎日、何年も何年も。うう、泣ける。

両親とは今、海を隔ててしまいなかなか会えないけど、できる孝行をしよう。で、できる孝行のひとつは自分がしあわせであることだと都合よく考えて、日々しあわせをかみしめて生きようと思う次第です。

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