他人に苛立つときは自分に苛立っている

少し前のこと。特に何があったわけじゃないのだけど、もやもやと気が晴れない日が数日あった。年齢が年齢だ、女性ホルモン的な理由もあるんだろう。わたしはとにかく活動的に動き回りたいのに、相方は家でだらだらしていることにも苛立った。亡くなった前夫との結婚では何かしようとアイデアを出し計画を立て誘い出すのは常に亡夫であった。しかし、いまの結婚では何かしようとアイデアを出し計画を立て誘い出すのは常にわたしである。もやもやと気が晴れない数日、亡夫と比べて相方はつまらなく、刺激のない人だと、とんでもなく自分勝手な解釈をして心の中で相方を罵倒する瞬間もあった。そもそもわたしが結婚相手に求めたのは、わたしのすることに何にも口出ししない人、やさしくおだやかな人ということで、それは十二分すぎるほど満たしているのに、満たされたら満たされたで違うものがほしくなっているとは、欲望とはなんともやっかいなものだ。

でも、この年齢になってなにがすばらしいって、苛立っているときは、だいたい自分に失望しているときだってわかるようになったことだ。わたしの場合、いらいらするときは、自分がやりたいことをやっていないことが続いたときである。もちろん、やらないのは「理由」があるからなんだけど、その理由はほとんどの場合、自分で作り出している。自分で作り出しているというのが受け入れがたいとしたら言い方を変えればいい。本当にやりたかったら、やれるはずだ、に。

わたしは活動的に動き回りたいのに相方が連れて行ってくれない、誘っても乗り気じゃなさそう、うんたらかんたら…頭の中の言い訳を取っ払ったら、ただやりたいことをやっていないという自分だけが見えてくる。本当にやりたかったら別に相方を置いてでかければいい。なのにしないのは、わたしの場合は一人で行くのが怖いから、であった。一人で行きたいところに行くことができないという自分への失望が、「わたしをどこにも連れて行ってくれない」という相方への苛立ちに変換されて外に出てきていただけだった。

というわけで、わたしは相方を置いて、かねてからずっと気になっていた、家の裏手にある丘に一人登った。一応道はあるけれど、人気トレイルというわけでもないので人は誰もいない。トレイルの情報を集めたサイトにも載っていないので、はたしてどのくらいの傾斜なのか? 頂上までどのくらいあるのか? それがわからなくて、わからないから怖くて行っていなかったのだ。実際行ってみたら傾斜はなかなかあったが、片道30分くらいの手軽なトレイルだった。その日はあいにく曇天で絶景ビューとはいかなかったが、ずっとやりたかったことやったという達成感はものすごくあって、みるみるイライラもモヤモヤも消えていった。だいたい、こんなふうに一人で好きに出かけさせてくれるところが、相方のよいところで、それこそわたしが望んでいた関係じゃんとニュートラルに戻れた。

大好きな友達が「大人だもん、自分のご機嫌取りは自分の責任」というようなことを言っていた。本当にそうね。そして、自分のご機嫌を自分で取れるっていうことが、大人になったということのひとつの証かもしれないな、なんて思ったのでした。でも、ここで大事なのは、ご機嫌を取るというのは、出てきた感情を無理に抑え込むってこととは違うってこと。昔はそれがわかっていなくて、抑えた感情が時折爆発して寝込んだりしたけど、今はかなり楽だな。それもこれも「インプット・プロセス・アウトプット」の動作学のしくみがよくわかったおかげです。ちなみに、川尻先生の教えるこの理論を実践してものすごくわたし自身が(気持ちいい方向へ)変わったので、相方との間で「アフター川尻」という造語もあるくらいなのです。

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