誰かが泣いているとき、誰かは笑っている

Instagramで大雪の投稿を見たその次に出た投稿ではお姉さんがビキニ姿で夏を堪能していた。世界中のひととつながるとこういうのが楽しい。いまこの瞬間、どこかでは冬でも、どこかでは夏なのだ。そんなこともちろん知っているんだけど、視覚として見せられるとやっぱりインパクトが大きい。身をもって実感できる事実としてすとんと入ってくる。

それと似ているんだけど、Facebookでも、友だちの誰かがすごくつらい日を過ごしているときに、ほかの誰かはものすごくハッピーな1日を過ごしているということがよくある。皆さんはどう感じるかわからないけれど、わたしは、それをすごく救いに感じる。たとえばわたしが涙を流さずにいられない日を過ごしていたとしても(あくまでたとえばです)、どこかでは同じ日を笑って過ごしているひとが必ずいるということが、わたしには希望に思える。わたしの世界がいま暗黒だとしても、世界の全部が暗黒になったわけじゃないことを知ってると、出口があると思える。

まあ、大人になると、きっと出口はあるってことはもうわかっていて、でも、その出口までに、必要な感情を必要なだけ体験しなきゃいけないということがつらかったりするんだけども。ただ、必要な感情を必要なだけ体験しているうちに、感情のほうに主導権を譲ってしまって自分を見失ってしまうことはあるので、出口はありそうだよってことを視覚とかそういった物理的なもので自分に見せてあげるのは生きる知恵のひとつのように思う。年を重ねると楽なのは、そういった知恵がいつのまにかたくさん集まっているから、なのかもしれない。

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