What if…?

わたしはけっこうな「いらち」である。亡くなった前の夫はわたし以上に「いらち」だったので、自分がいらちという自覚はなかったが、いまの相方はものすごく穏やかでのんびりしているので、一緒にいると自分のいらちぶりが際立って、ようやくいらちを自覚した。
じつをいうと母親がなかなかのいらちで、スーパーのレジでちょっと待ち時間が長いとか、小さなことでいつもイライラしていた。もちろん大人なのでそれを他人にぶつけたりすることはないのだけど、「あれあれ、こんなことでいちいちイライラしていたら大変だわね」と他人事のように思っていた。でも、気づけば、自分が母みたいになってた。
最近は、瞑想のおかげか、いらちが出そうになると、その瞬間に気づけるようになってきた。だいたいにおいて、わたしは自分の心地よいペースというのがあって、そのペースを邪魔される、もしくはそのペースの通りに人が動いてくれないというときにいらちが出る。書いていて、我ながらなんと自分本位だと情けないが、仕方ない、それが現実。
ただ、前述したように、最近は気づけるので、気づいたとき、こう考えるようになった。「What if this is God’s plan?」。だいたいは思い通りにいかなくていらいらするんだけど、その思い通りにいかないこの状況が神さまの采配だとしたら。いや、「だとしたら?」、じゃなくて、「本当に神さまの采配だ」と思えるようになってきたというのが正しいかも。
そんなわけで、特集を2本抱えてめいっぱいのスケジュール、本当は今日の午前中に終わらせておきたかった作業をシステムのエラーによってできず、いらちが出そうなところ、すべては最善のための神の采配だと本気で思って、一休みしろってことだと受け取り、これを書いた。
仕事にしても、対人関係にしても、なんにしても、まず自分が心地よい状態であるってことが、少なくともわたしにはとっても大事なので、何事も自分の心を整えて望む、心が乱れたら整える時間を作る、を今後も徹底していこうと思うのでした。
