変容

最近の一番大きな変化は、ちゃんと「自分を生きる」ために情報をシャットアウトするという段階から、ちゃんと「自分を生きる」ために情報をきちんと収集してインプットするという段階に進んだこと。これは人間関係にも言えて、これまでは基本、人と接するのは疲れるので距離を置いていたが、いまはむしろ面白そう、楽しそうと思う人にはずいずい近づいていく。自分的には劇的進化。
「進化」という言い方をしたけれど、それはあくまでもわたしのこの人生での進む順番の話であって、人によってはインプットしすぎている情報をシャットアウトすることが前進の場合もある。なので「進化」というのは便宜上というか、わたしのこの人生のいまのステージにおいて、であって、そこに優劣も速いも遅いもないことは書いておきたい。
わたしは基本スピリチュアルなので、何よりも大事なのは自分の内側だと思っているし、何かの指針にするとしたら自分の内側から出てくる声、つまり、直感が大事だと思って実際に実践しているわけだけど、その「直感」というのは脳に蓄積されたあらゆるインプットを総合して出てくるものであるからして、結局、外側で起こっていることと無関係ではいられない。つまり、「直感」を大事にするためにも、脳に「良い」インプットをたくさんしておくことはすごーく大事だとようやく腑に落ちたのだ。
「良い」インプットというのは「質の良い」インプット。何をもって質が良いと判断するかは人それぞれかもしれないけれど、わたしは、「その人が全身全霊で、それが世界のしあわせにつながると思って、責任を持って発している情報」を質が良いと判断している。でまあ、何をもってその人が全身全霊で責任持って発していると判断するかは、これはもう感覚としか言いようがなくて、そこが難しいし、それこそどれが正しいというのもないのですが。
そんなわけで、いろんな情報をたくさん、意識的にインプットするようになってわかったことは、これまで自分が信じていた情報に思い込みが多すぎたということ。一番多いパターンは20年前に聞いた話、とか。そのときはそれが最新の情報だったけど、いまもその情報を信じているとしたらただの思い込みだよっていうのがどれだけ多いことか! あと、スピリチュアルな話題もけっこう罠。自分もスピリチュアルだけど、”スピリチュアル”とされない分野からのインプットをはなからシャットアウトしてしまっているケースが多々あると感じる。
ともあれ、いっときはHPS(ハイパーセンシティブ)ゆえに、情報を遮断しないと生きにくかった自分が、いまは自らたくさんの情報をインプットしにいくようになっていて、その変化が楽しい。しかも、昔なら情報に飲み込まれて疲れて寝込んだりすることが必要だったのに、もうそれもない。これは瞑想の効果か!?
40代も後半になったが、まだ知らなかった新しい自分に出会えて、すごく楽しい。変化というより、変容かもしれない。これこそがなりたかった自分、会いたかった自分だと感じて、それが何よりうれしい。
