瞑想アディクト

朝と晩の瞑想を日課にするようになって1年以上が経ったいま、わたしは瞑想なしではいられない体になってしまった。大げさだけど、でも、瞑想をはしょると自分が自分のセンターにいない(?)みたいな感覚がすごくわかるようになって、それが気持ち悪くて、歯を磨いていないのと同じくらいの気持ち悪さなので自然とやるようになった。なので完全に日課になったと言える。

じつはそれより前から瞑想は定期的にしていたつもりだったのだけど、ここまでの効果は感じていなかった。やれば気持ちいいのだけど、やらなくてもそれはそれで平気だったので、さすがに毎日、朝と晩、どちらもやるってことはしていなかった。しかし、Self Realization Fellowship(SRF)のクリアバンになりたいという単純かつ不純な動機のおかげで毎日、朝晩することを始めた。なぜならSRFが教える瞑想のテクニック(他にもあるけど)を日課にして一定期間を経たないとクリアバンになる資格をもらえないので。SRFの瞑想法そのものがよかったのかもしれないが、とにもかくにも実践して1年が過ぎてわかったことは、瞑想は習慣として一定期間取り組んだときに、本当の意味で効果を感じるってことだ。もちろんその一時のすっきり感はあるんだけど、それをある程度続けると脳が変わりだすのだと思う(実際にそういうデータはいくつもある)。いまは、昔だったらこんなふうに冷静な反応はしなかったわ、と思えるような反応が自然と出てくる。この変化は本当に面白い。

わたしは根性論とうものが大の苦手で、やる理由がわからないことを、とにかく懸命にやってみる、ということが好きでなかった。でも、とにかくやれと言われたことを疑問を持たずにやってみる、目の前の課題に文句を言わず懸命に向き合ってみる、ということを通して初めて見えてくるものもたくさんあるんだなぁとこの年齢になってようやく知った。会社の仕事もそうで、わたしは基本的に会社員に向かないとずーっと思ってきたし、まあ向いているか向いていないかでいえばやっぱり向いていない気はするが、いつづけたことで学んだことはいっぱいあるし、いつづけなきゃ見えていなかったろう世界がいまは見える。

これを言葉にするなら「何事も無駄はない」って当たり前の言葉になって、若きの日のわたしなら「フン!つまらん!」と鼻を鳴らしていただろうな。ともあれ、何か心を乱されることが起きたとき、やけ食いや、やけ飲み(はもともとお酒が弱いのでそんなできないんだけど)、八つ当たりする前に、「とにかく瞑想させてくれ〜」と思えるようになったことは、少なくともわたし自身とわたしの周囲の人たちにとってはよいことのように思う。

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