30代まではわからなかったこと

40代も後半になってようやく自分の体で納得できたことのひとつが、点と点は思わぬ形でつながって展開していく、ということだ。これも言葉では知っていたけれど、たくさん体験したことで確信になった。いまは、どんな点も必ずつながって展開していくことに疑いはないし、もっと言えば、当初自分がイメージしていたことと違うような展開をしていくほうがよほど人生は面白いと思えてきた。おかげで、いま、「はたしてこれが何になるのか?」とよくわからない点に対しても、興味のアンテナが立ったというそのことだけを信じて、顔を突っ込めるようになった。以前なら「自分のめざしていることにつながらなそうだ」とか「わたしなんかおよびじゃなさそう」とかといった理由をつけて尻込みしていたようなことも、脳が気になったのならきっと何かある、じゃあ、やってみよう、の精神で。
おかげでセミナーやらオンラインサロンやら執筆やら、本気で取り組んでいることが会社の仕事以外にもたくさんあって、すごく忙しくて、そのほとんどが新しいことばかりなもんだから新鮮で、なんだか学生時代に戻ったような気分でいる。基本的に脳内の自分の思考を常に整理整頓して把握しておきたがる癖のある自分にしてみたら、何のためにやっているのか、何につながるのか、未来の全体像が見えないものが多すぎる現在はちょっとしたカオスでもあるのだけど、同時に、いまやっているこれらの点がどう思いがけない展開をしていくのだろうと楽しみにしている自分もいる。
そう思えるようになったのは、しつこいけど、点と点がつながって展開していくという経験をたくさんしたから。それも本当に思いがけないつながり方で。自分では点と思っていなかったようなことも、じつはつながっていく。なので、生きている中で経験するすべてが点になる。
前も書いたけれど、20代のときはそもそもまだ点の数が少なくて、つながりなど実感できなかった。30代は、点はだいぶ増えてつながるものも増えてきたけれど、それがどう展開していくのかはまだわからなかった。いろんなことが動き始めたのは40代になって。もちろんこれはわたし個人の体験なので一般化はできないけれど。
経験というのは、何か新しいことに挑戦するときに足かせになることも多くて、時に悪者にされちゃうんだけど(わたしは長らく悪者にしてきたタイプ)、でも、経験ってSNSと一緒で、それ自体によしあしはなくて、それを自分がどう使うか、だけなんですよね。点を「足かせ」とラベリングして積み重ねるのか、「自信」にして積み重ねるのか、結局、自分次第ってことだ。
で、じゃあ、経験を足かせとして積み重ねることが悪いかといえばそんなこともないんですよね。大事なのは、自分はどっちを選びたいかを自分に問うて、自分で選ぶ、ということ。もし良し悪しで判断するなら、何を選ぶかに良し悪しはなく、ちゃんと自分で望んで選ぶということが「良い」。万人に共通する「良い・正しい」というものはないとは思うのだけど、「自分が自分で本気で選んだならば、それは正解」とは言っていいんじゃないかな。あなたが、あなた自身の望みを聞いたうえで選んだことなら、それが正解。この言葉は、特に自己肯定感の低いかつてのわたしのような人たちは、時々自分に声がけしてもいいくらいかもしれません。
