【本】『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』

読み途中&読み始めてもいない「積ん読」の本が、数えたら17冊もあった。しかし、にもかかわらず新しい本を買って読み始めてしまった。ライター古賀史健さんの『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』。

『嫌われる勇気』などのベストセラーの著書としてもおなじみの古賀さんが、小説家や詩人、エッセイストではなく、ジャーナリストでもない、「ライター」のための教科書として書いた本なのだが、これほど読みながら興奮する本は久しぶり。面白くて読み進めたくてたまらないのに、さらさらっと軽く読むことができないために数ページで疲れてしまう。けれど、少し休むとやっぱり読みたくなってまた開く、そんなことを繰り返している。

まだ「取材」の項目を読んでいて、しかもその項目さえ読み終えていないので、その段階で何かを書くのもどうかと思うけれど、とにかくものすごい興奮しているので、何かを書かずにいられない。

わたしの興奮ポイントのひとつは、自分が体験から学んで整理して築いてきた自分の仕事術、やり方、こだわりのようなものが、古賀さんのそれと近いとわかったこと。ライターって孤独というか、ライター同士でつるむことがあまりないので、他の人のやり方を聞く機会がそんなにないのだ。だから、古賀さんがライターとして基本としていることをこの本でうかがい知ることができて、かつ、そのほとんどが自分と同じ(少なくとも取材の項目は)だと知ったことは、自分のがんばってきたことは概ね間違っていなかったようだと大いに自信になる。たとえば、わたしはインタビューのテープ起こしを原則としては自分ですることを好む。それがなんでか、自分では説明できなかったのだけど、この本を読んで、ああ、そう、そうだよねぇと思った。

え? 古賀さんと同じようなことを基本としてやっているんなら、古賀さんくらいのヒットメーカーになっているはずじゃん、わたし? ってツッコミはもちろん入る。でも、古賀さんと自分の違いもいまのところとってもクリア。一番は、わたしは言葉にして顕在化できるほどに意識的にそれらを行っていなかったということ。たとえばテープ起こし(文字起こし)を自分でするのが好きな理由を、そこまで突き詰めて考えて顕在化したことがない。顕在化することの強さは、それを無意識でなく意識してやれようになること。意識してできるということは、ただ反応として行動するのではなく、意図して行動できるようになることでもある。やっていることは似ているんだけど、意図があるかないかでアウトプットの質はだいぶ違ってしまう。また、顕在化していない、つまり意識的にしていないがゆえに、似たようなことに気をつけてはいるけれど古賀さんほど徹底してはできていない。それが決定的な差だな、と読みながら思っている。

かといって自分を卑下しているわけではなくて、大筋、悪くないから、この本を読破して、この先、もっと意識的に取り組んでみよう、という並々ならぬやる気に満ちた。ライターって、そういう仕事だよ、そういう人種だよ、ってものすごく共感するし、そんな自分の職業をますます好きになれる、誇りに思える、そんな本だ。

詩人やエッセイスト、ジャーナリストという肩書きに属しにくいいわゆる「ライター」をめざす人は必読、とわたしはあえて言い切りたい(まだ全部読んでないけど 、でも、最初だけでもじゅうぶんもと取れる内容だ)。ここに書かれている細かいことを全て真似する必要はないかもしれないが、この本に書かれているのは方法論というよりはもっと本質的なことで、そこをどこまで読み(取材し)自分の言葉で整理できるかが肝であろう。本のキャッチには編集者、柿内芳文さんによる「100年後にも残る」というコピーがあるけれど、本質的なところまで掘り下げられているだけに、大げさではないと思う。

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