好きなことを増やしたわけじゃないのに、好きなことだらけになった

先週からずっとなんだかモヤがかかったように気が晴れなかった。朝から夕方までのフルタイムの仕事の前後に、やれエリザベス・キュブーラー・ロス財団のオンライン教育シリーズ(第2弾が始まったのだ)やらヨガやアートのクラスやら、その他単発のオンラインセミナーやら、英会話に瞑想にワークアウトにジョギングにサーフィンとめちゃくちゃ詰め込んでいるのでさすがに疲れたのかなぁ…なーんて思っていたが、インタビューの草稿ができたらとたんにモヤモヤが晴れて、なんだ、これがずっと頭にあって落ち着かなかっただけか、とわかった。
というのも、そのインタビュー相手の思いが、ものすごーく伝わってくる取材だったのである。けれど、当然のことながら、紙の媒体には文字数の限度があるし、読者が読みたいものというこちらの都合もあるので、その人の思いを全て書けるわけではない。しかし、せっかく取材に協力してもらえたのだから、その人が協力してよかった、自分の伝えたいことを形にしてもらえた、と思える原稿には絶対したい。そのせめぎあいがインタビュー原稿の醍醐味とわたしは思っているが、同時に醍醐味をより味わえれば味わえるような場合ほど、それに比例してプレッシャーも大きくなり、よって、自覚はないが常に頭のどこかでそれを考えているということが続き、前述のようにモヤモヤしてしまうのだと思う。
まあ、しかし、それも含めて、ライターの仕事は楽しい。海のコンディションがいいときはなかなかないけれど、それも含めてサーフィンの楽しみであることと似ている。好きなことであれば、苦労は苦労と感じないのだ。ってよく言われるし、それはまさにその通りと思うけれど、必要ないことは何一つ起こっておらず、全ては自分がよりよい自分(より拡大した自分)になるために起こっているのだというふうに人生や世界に対する前提が変わると、そんなに好きなことでなくても苦労と感じなくなってくる。
とにもかくにも、楽しいことだらけ。これ、好きなことを増やしていったというより、前提が変わったことで今までやっていた、たいして好きでなかっことが自然に楽しいものに変わった、というのが近い。そんな自分になったことに自分がびっくり仰天中。このパラダイムシフトは体験すると本当に面白くて、かつての(パラダイムシフト体験前の)わたしにわかるように言語化してみたいのだけど、なかなか難しい。でも、難しいんだよな、けど、言語に落とし込んでみたいな、とぐたぐだやっているのもまた楽しいのだ。
