生きても、死んでも、運が良い

COVID-19のワクチン、1回目を接種した。
今のところカリフォルニアで打てるのは、ファイザー社製かモデルナ社製(ジョンソン&ジョンソンは一時停止中)。基本的にワクチンを接種する場所によってどちらを打つかが決まる。いずれの場所も提供しているワクチンを明示しているので、打ちたいほうが明確にあるならそれを提供しているワクチン接種場所を選べばいい。
わたしはとにかく早く、簡単に接種がしたかったので、自宅近くの場所、というふうに場所優先で選んだ。結果、モデルナのワクチンをドライブスルーで打つことになった。ドライブスルー、つまり、並ぶのも打つのもずーっと車の中。たまたま雨の日だったので、車を一度も降りずに済んだのは便利であったが、一人で行ったので待っている間にトイレに行きたくなったのだけが困った。並んでいる車の列はのろのろとではあるが進み続けているので停めて行けないし、両脇に停められるようなスペースもないし、そもそもトイレなどなさそうだし。まあしかし、おかげで、トイレに行きたい緊迫感のほうが強くて、これから受けるワクチンについての緊張感はほぼなかったことはむしろよかったのかもしれない(最終的には、打った後に15分待機するために設けられた駐車場に簡易トイレがあって、そこで行けました)。
ワクチンは、これまでは1回目より2回目の接種のほうが副反応が強く出る人が多いと聞いていたが、最近になって1回目から出たという人がわたしの周りに増えてきた。また、若い人のほうが反応が強い傾向にあるとも言われている。一方で、1回目も2回目もまあ平気だったよ、という人もわりといる。というわけで、自分はどのパターンに入るのかが気になっていたが、わたしの1回目接種はぜんぜん平気であった。
当日の夜(打ったのは朝一番)、「ちょっと眠気が強いし、熱っぽい感じといえば熱っぽい感じはあるかもしれないなぁ」とは感じたけれど、その程度。打ったところに発生する筋肉の痛みについても、わたしは日々ヨガやらワークアウトやらして常にどこかしらが筋肉痛であることがデフォルトなので、こんなもんか、という程度。
そんな結果にほっとしているんだけど、反応が出るのは免疫反応ともいえるから、むしろ歓迎だ、とも聞いていたので、反応が軽いとそれはそれで微妙な気持ち、という不思議な状況に陥ってもいる。でも、どっちにしてもワクチンの有効度は変わらないとしたら本音はやっぱり反応は軽いほうがありがたいので2回目もこの調子でいくことを願ってもいる。
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カリフォルニアは知事が6月15日には経済を再開させると宣言している一方で、日本は各都市で再び感染が拡大していると聞き、複雑な気持ちでもある。
とりわけ、高齢の父母、義父が心配なのだが、父も母も義父も、気をつけることはしているが、不安にのみこまれていたり神経をとがらせていたりはしていなさそうなことがわたしの気持ちの救いになっている。
特に義父は、ご本人も自覚があるようだが、わたしから見ても、とても運が良く、ご先祖様や大いなる何かに守られていると感じる人。
このパンデミックになったとき、「お義父さんは運が良いから絶対大丈夫」と伝えたことがあるのだが、「でもね、死なないことが運が良いとは限らないよ。その後にもっとひどい惨事が起きたりして、こんなことになる前に死んであの人はやっぱり運が良かったんだねぇなんてこともある。だから、僕が亡くなったとしても運が悪かったとは思わないでよ」と言われた。すごい人だ。もちろん、歳を重ねてきての達観でもあると思うが、それでもやっぱりすごい。
生きても死んでも運が良い。この考えを心から持てたら無敵だよね。何があってもなくても、ぜーんぶ自分にとってよきこと。ワクチンを打つ選択をしても、打たない選択をしても、副反応があっても、たいしてなくても、ぜーんぶ自分にとってはよきこと。
それぞれが自分にとってよいことばっかりしていたら全体はどうなるのよ?という見方もあるだろうけれど、わたしはみんなが自分にとってよいことをやっていたら世界はパーフェクトなバランスになるはずと信じている。肝臓の細胞が心臓の細胞の仕事をする必要ない。細胞のひとつひとつがその細胞の仕事をすることで全体の調和が保てるのだ、と。
