ここまでくるのに20年かかった

LAに暮らしている女友達と二人でパームスプリングスに一泊二日の旅に出かけた。パームスプリングスは南北でいえばロサンゼルスとサンディエゴの間にあるので現地集合、現地解散。片道だいたい2時間くらいなので、一人の運転もつらいことはない(4時間を超えると一人はつらい)。
旅の目的は、Desert Xという、この時期だけ行われている現代美術の壮大な展示プロジェクトを見に行くため。砂漠の街を舞台に展示される作品群を、鑑賞者は車で移動して見て回る。今年は例年に比べて展示作品が少ないそうで一泊で全てを見ることができたが、例年はそうもいかないくらい広範囲に展示がなされるらしい。それでも、わたしには十二分に楽しかった。
Desert Xの面白いのは、展示場所が砂漠の町のどこかということ。とりわけ、砂漠の中に作られたインスタレーションを見るにあたっては、背景にある広大な自然と、アートという人間の創作物、その両方の組み合わせの妙についても感じずにはいらない。
その組み合わせまで含めて、いや、それを体験してわたしが何を感じるかまでを含めてアート。書いてしまうと当たり前のことなんだけど、今回はそこがわたしに一番ヒットしたポイントであった。
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なんでかしらないけれど、わたしはアメリカ西部の砂漠の風景が、とても好きだ。
パームスプリングス界隈は周辺が山で渓谷のようになっているので強い風が吹く(風力発電の風車もそこらじゅうにある)のだが、それもまたいい。というか、それが、いい。
ここに一人で置いていかれたらあっという間に死んでしまいそうだ。そんな過酷な環境の中に、人間の営みがある、ということがまたわたしの心を揺さぶる。
Desert Xの作品群はまさにそれであった。
過酷な環境の中で何かをしようとしている人間の営み。
それを、なぜかとっても懐かしく感じる自分がいる。
自分もかつてここで生きていた、と錯覚してしまうような懐かしさ。
過去生の記憶と思いたいが、そればっかりは本当かどうかわからないし、大事なのは過去生がわかることではなく、わたしが砂漠の景色を懐かしく感じるというその感覚なので、それでいいのだとも思っている。
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これはとても感覚的、かつスピリチュアルなのだけど、昨年にしたセドナ旅行と、今回のパームスプリングス旅行は同じひとつのシリーズだったんだなと感じた。どちらも、いまから20年以上も前、当時、ホームステイしていた先のホストファミリーが連れて行ってくれたグランドキャニオンへの旅の道中で通り過ぎた場所で、言葉の響きだけずっと覚えていたところ。
たぶん、自分の足で行く、ということがこのスポットにおいては大事だった気がする。そのときがくるまで20年以上もかかってしまったけれど、ちゃんとこれたということに妙な達成感があった。この感覚は、2012年に初めて北カリフォルニアの聖地、シャスタと訪れたときと似ている。それまで行きたいとそこまで思っていなかったのにたどり着いてみたら「やっとここまでこれた」と感じた、あの感覚。
わたしの意識が及ばないところで、わたしはアメリカのこの地で何かしたいことがあるような気がする。「したいこと」といっても、何かを成し遂げるというような大きなことではなく、ただ暮らす、とか、どこかに旅する、というだけのことかもしれないのだけど。でもとにかく、わたし(の魂のようなもの)はここで何かをしたいんだなと、まるで他人事のように感じて、「ならいっちょ委ねてみるか」とじわじわと腹からパワーが湧き出た、そんな旅だった。
