環境が悪いときに成長が見える

アメリカはメモリアルデーウィークエンドで3連休。先週末までにずっと気がかりだったことのいくつかが片付いて久しぶりに心からサーフィンに没頭できる休日であった、が、そういうときに限って、波はいまいちという、よくある話。
波は3-4ft、腰から胸くらいとサイズはまああるのだけど、南からと北からのうねりがミックスされて、海面はボコボコ。3連休の最終日、月曜日はようやくまとまりのある波になったけれど、今度は激混み。だいたいにおいて望むようにいかないのがサーフィンなのだ。
それでも、3日間サーフィンを楽しみ、本日、帰りの車の中で急にしみじみとしてしまった。
11年前、サーフィンをはじめたばかりのわたしだったら、この3連休の、あの荒れた海の中では、沖に出ることさえできなかったろうな、と。まとまりのあった月曜日はさすがに昔でも沖に出られたかもしれないけれど、激混みのラインナップで、自分の板をコントロールする自信がなくて、テイクオフすることもままならないまま1本も乗らずに帰っていっていたんじゃないかな。
それで思ったのだけど、自分の成長というのは、イケイケドンドンのときよりも、むしろ状況がよくないときのほうが実感できるのかもしれない。
たとえば、仕事においても、ものすごくわかりやすいヒット企画を飛ばしたりは全然できていないけれど、なんだかいろいろとねじくれていて、ハンドルが難しい企画をちゃんと形にするとか、そういう底力みたいなものは30代のときより確実についている。それって、わかりやすい派手さはないけれども、やっぱり成長したと言っていいんだよな、と思う。
もちろん、サーフィンでも仕事でも、できるようになりたくてまだできないことっていうのはたくさんあって、それができるようにこれからもがんばる。ただ、一方で、すごく地味で見落としがちだけど昔はできなかったのにできるようになっていることって探せばたくさんあって、そういうものたちをちゃんと認めて、自分、がんばってるじゃんって労ってあげることも、ときどきちゃんとしてあげよう。そんなふうに改めて思った3連休だった。
