自分を知りたいのは魂の欲求である

昨年、弾丸セドナソロトリップでお世話になった「陽だまり in セドナ」の下野絵里さんのトウーリーディングのセッションを受けた。

”なんとなく”受けたくなって、その”なんとなく”に忠実に行動してみたわけだが、特に狙ったわけでないのにセッションの予約が夏至の日に確定したときに、うれしく感じた。全然関係ないけれど、この間、大事な人たちと大事な話をするために集まるとき、たまたま全員の都合があったのが新月の日だった。こういうのは、まったく科学的な根拠はないが、個人的には何かの流れに乗っている、もしくは宇宙からの応援が入っている、と感じる要素であり、いちいちうれしいのであります。

さて、本題。トウーリーディングというのは、その名前通り「トウ(Toe)」、つまりつま先を読むというものだ。もともとリフレクソロジストだったKCミラーさんという方が、人の足の指の形(や向き、色など全部)には過去の人生のさまざまなことが象徴的に刻まれているということに気がつき、体系立てたものだという。それを聞いたとき、足の指は確かに、生まれ落ちて歩けるようになってからずーっとわたしの体を支えてきているものだから、そこにいろんなことが反映されているというのはMake Senseだと、いつか受けてみたいと思っていたのだった。

実際に受けてみて、どうだったかというと、これもまたちょっと前に受けたJunoさんの数秘術鑑定と同じくらい面白かった。絵里さんによれば、わたしは比較的トラウマの少ない元気な足のようであったが、それでも、「このくらいの時期に、このジャンルで、何かトラウマになったような大きな出来事があるはず」という「読み」が2つあって、そのひとつが人生最初のつまずき、高校生のときの不登校の時代、もうひとつがわたしがスピリチュアルに開眼するきっかけとなった20代後半のプチうつ暗黒アームカッット時代、いずれもぴったりと重なっていた。

このトウリーディングのさらに面白いところは、セッションを受けた後に、足指が変化することだ。絵里さんは「魂レベルで変わるから」とおっしゃっていた。魂という言葉がピンとこない人は、自分が認識している意識よりさらに深いところで変化が起こるとそれが体に表れると捉えてもいいかと思う。いずれにしても、へぇ、と自分でびっくりするほど変わる。

トウリーディングはいま、つらいことがある人、悩みや問題がある人がよく受けるようだけど、とりわけ問題がなくても「自分を生きる」ということに興味がある人にはとってもいいツールのひとつだと感じた。

ところで、わたしは20代後半の暗黒時代に、セラピーやヒーリングのセッションを受けまくり、その都度、ちょっとずつ癒されて人生に前向きさを取り戻した、という経験がある。すっかり元気になってからは、「そのような自分を癒すセッションはもう卒業かな、そろそろ自分を知るステージから抜けて社会に貢献できる人になりたいわ」などと思うようになり、アメリカに来てからはヒーリング、とりわけスピリチュアルなヒーリングからは意識的に距離を置いてきた。

ところが、少し前に取材をさせてもらった、とってもすてきなボディーワーカーの方の言葉で、またちょっと考えが変わった。「みんな自分を知る、自分探しが大好きだけど、それは当然といえば当然なんですよ。なぜなら気づいていようと気づいてなかろうと、人の一番の望みは魂の成長だから。魂の成長とは、『自分は何者か』に気づいて、その自分の特質を開花させて生かして生きるということだから」。

なるほど!

この年齢になって、いろんなことが癒されて元気になって、わたしは自分をだいぶ知ったつもりでいたし、自分の奥深くと話せるようになったと思っていたけれど、セッションのように外からサポートを受けることは、自分で見つけられていない引っかかりに気づくにはとっても大事なのだ。しかも、自力ではなかなか見つけられない引っかかりこそ、それだけ隠したいということでもあって、その分、大きなものであったりもする。それをどこかでわかっていたのに、「わたしは人の助けを借りるセッション系は卒業した」なんて思っていたのは、「もういい年齢なのにいまだに自分を知るのに人の手を借りたいなんて」と、どこかでジャッジして抵抗していただけらしい、と、そのボディーワーカーさんの言葉を受けて気づいた。「自分を知りたいのは、それが魂の望みだから」っていう言い訳をもらえたら、自分を知るのに人様の助けを借りることに抵抗がなくなって、1年前に聞いて興味があったトウリーディングのセッションをこの度ようやく受ける気持ちになれたのだった。

いま、個人的に転機なので、その変化に乗るため、これまでの慣れ親しんだ自分に留まらないために、セラピーやヒーリングというツールを、心の奥深いところで欲していて、そのために、それらを受けることを自分に許可するような流れを作る、というシナリオを、宇宙というか、結局は自分もその一部である大いなるものがちゃんと用意していたとも言える。そのことにも感激する。

わたしは時折、「世界は愛だよね、愛でしかないよね」というモードになって、あらゆる出来事の裏に愛しか感じなくなって感謝が溢れまくってその至福に涙まで流れてしまう、という、ちょっと不思議ちゃんなテンションになることがあるのだけど、いまがまさにそれ。そういう自分も許し、愛し、出していこう。自分を出し惜しみするのはもったいない、っていうか、自分を出さないことはこの世に生まれてきた望みに反するのだ。

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