サーフィンをやって良かったこと

本日のサーフィン、沖で波待ちをしていたら、これまでより大きめの波が遠くからやってくるのが見えました。

わたしは一番沖のラインナップにいて、波を見つけてさらに沖へとパドルをはじめましたが、おそらくテイクオフするのはかなりギリギリのクリティカルなタイミングになりそう…(それよりインサイドの人は確実にくらうであろう笑)。

と書くとどんな大波かと思うかもしれませんが、サイズにしたら肩くらいの波。ただ、今日わたしはシングルフィンのノーズライダー、9ftに乗っていました。わたしのレベルでは、大きくて胸サイズの波くらいまで、余裕を持って楽しめるのは腰波くらいまででというサーフボード。別のボードを持ってくればよかったとちょっと後悔していたのです。

が、沖からひらひらとその大きな波の筋が見えたとき、わたしは感じました。わたしよりインサイドにいるサーファーたちの「一番奥のラインにいるお前があの波に行かずに誰がいくのだ」という心の声を(笑)。沖に陣取っていたのにこれを行かないなんてありえん、もう行くしかない、と覚悟を決めて沖へ向かい、波が今にも崩れそうなところでくるりと岸向きに体の向きを変え、えいやっと祈るようにテイクオフ!

…今考えるとアングルつけてテイクオフすればよかったのですが、良くも悪くも慣れ親しんだホームブレイクだったもので、波が今にも崩れそうに見えてもまたたるくなるはずと見込んでフェードぎみにテイクオフしてしまいました。…なんとかボトムターンはしたものの、進行方向である左手の目の前の波のリップ(波が割れる先っぽ)は今にも落ちてきそう、っていうかもう落ちてきている…。慌てて、「とにかく姿勢を低く、レールをつかんで波に張り付いて耐えるんだ!」と、レールをつかんだ瞬間、わかりました。わたしの乗っているボードは、おそらく波のどの部分にも触れていない(苦笑)、宙に浮いとるがな。「あ!」と思う余裕さえなく、そのまんまワイプアウトです。

※ワイプアウトって何だかわからない方のために、YouTubeで見つけたワイプアウト集を貼っておきます↓

わたしがやったのはこの動画でいう「Late Drop」のワイプアウトです。久しぶりに、リップ(波のピラピラしたところ)とともに巻かれました。

なすすべなくただグルグルと回転させられる洗濯機状態。

あまりに回転したので、ようやく浮かび上がったとき、自分が沖の方を向いているのか、岸の方を向いているのか、一瞬わからなかったほど。

その(おそらく)ボケっとした顔を、ローカルの重鎮、Oが笑って見ていました。

ふぅ。

ただ、我ながら進化を感じたのは、派手なワイプアウトでも心が折れなかったことです(数年前ならきっと心が折れて海から上がっていたと思う)。

むしろ、派手に巻かれてアドレナリンが出たのか、「9ftのノーズライダーがどうした。この板だから大きな波に乗れないなんてことはない。気のせいだ」と謎の自信が出て、その後のセッションでは自分でも驚くほどのチャージャーとなって、海上がりにOに「大きな波に行っていたねぇ」とお褒め(?)の言葉をいただきました。

気の持ちようとは本当にすごいもんです。

***

気づけばサーフィンをはじめて11年になります。

東京で暮らしていたわたしが、湘南に引っ越してサーフィンを本格的にはじめたのは2010年の7月。

海では、わたしの地上での肩書きもキャリアもまったく意味をなしませんでした。わたしがそれまで頑張ってきたことは、海の中ではまったく評価されませんでした。素敵なメイク法だってすっぴんの海では何ら役に立ちません。

これを告白するのはちょっと恥ずかしいのですが、なかなか大きな企業の広告などにも携わらせてもらって、おしゃれな暮らしを東京でしている、わたしはそれを密かに誇り(というか自慢?)に思っていたんだということにそのとき気がつきました。

でも、その誇りは海に行くようになってズタボロに叩きのめされたわけです。

目の前ですいすいと波に乗っていく女の子たちを横目に、波を取れないか、巻かれるかばかりの海の中でのわたし。悔しかったし、情けないしで、いつも自分にがっかりしながら海を上がってきました。

でも、30代になって、いっちょまえに仕事ができるようになったつもりになって、まるで自分という人間までもがすばらしくなったように錯覚してしまっていた、妙なプライドをベキベキとヘシ折られれたことこそが、サーフィンをはじめて一番よかったことだと今は思っています。

わたしは何者でもなかった、とハンブルになれました。

「どれだけ仕事ができるか」「どれだけ稼げるか」「どれだけ賞を取ったか」といったものはまた全然違う、「どれだけ海を知っているか」こそがかっこいい、という世界があることを知ることができました。

わたしという人間が持つ世界も、そのぶん広がった気がしています。

そう考えると、趣味を持つことは、それまで暮らしていた世界と違う価値観の世界に踏み入れること、新しい価値観を自分に加えること、とも言えるかもしれません。

***

11年前の夏、はじめて自分のサーフボードを買ってワックスを塗ったときのワクワクした気持ちを今も思い出すことができます。

サーフィンによって自分の世界観や暮らし方がこんなにも変わるとはあのときは想像もしていませんでした。

一方で、11年前のあの夏、サーフボードにワックスを塗るわたしは、11年後の今のわたしにニコニコと見守られていたような気もするんです。言い方を変えると、今のわたしが、11年前のあの日のわたしをニコニコと見守っているような気がするというか。

だからというわけではないですが、何かをはじめるときや、やめるとき、10年後の自分はその選択を「でかした!」と言うだろうか、と考えることがよくあります。

10年後の自分が「でかした!」と言うであろう選択をしたいなと。

実はサーフィンをはじめたとき、「自分のサーフボードを買うのはもう少し後でいいのではないか」「買うなら中古でいいのではないか」と亡くなった前夫に言われました。でも、お気に入りをひとつ買って、それで思う存分練習したいという自分の気持ちに従って、新品のサーフボードを買いました。後に引けない理由を自分で作ったとも言えます。

11年後のわたしは、あのときのわたしの行動を「でかした!」と褒めてあげたい。

今思えばあの時の初ボードは、全然サーフボードのことをわかっていない、いつかロングボードでノーズライディングしたいという夢にはちょっと間違った方向の1本だったけど、それでも、自分の板を持ったことが毎日海に行く後押しになったし、自分が気に入って買った、初心者向けの、いつも同じサーフボードで練習することで、「このボードは難しい」という言い訳ができなくなって頑張ることができました。

あれから11年後のわたしは、あのときは、憧れはあるのに重たいわ長いわ動かしにくいわでとてもマネージできる気がしなかったシングルフィン・ロングボードにちゃんと乗れるようになっているし、当時はテイクオフはおろかそもそも沖に出ることさえできなかった大きさの波に、ヒャッホーイとアドレナリン放出して乗っているよ、と、あの頃のわたしに伝えたい。そして、今から10年後のわたしは、今のわたしに何と言うだろうかにも耳をすませておきたい、と思うのです。

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