「動作学というレンズを通して」最新版アップ
noteで日本時間の月曜日朝に更新する連載マガジン「動作学というレンズを通して」を始めました。
その第2回「動作学キーワード『動的平衡』って?」をアップしました(こちら)。
人は、いや、生き物とは揺らぐもの。つまり、アップダウンはあって当たり前のこと。アップしたときは良くて、ダウンしたときは良くないなんてことはないのです。
私はヨガや瞑想などを長らく実践してきて、また、その哲学・教えを学ぶことも好きだったので、「物事はただ起こるだけ。それに良い、悪いと自分でラベルをつけているだけで、物事そのものには良いも悪いもない」という考え方はわりと昔から知っていましたし、そのように考えればいいんだと思って実践してきました。
でも、動的平衡の話を聞いた時に、「っていうか、そのように考えるもなにも、そういうものなんだ!」と思えたんですね。
なんだろう、うまくいえないけど、「そういうふうに考えればいいんだ」っていうのと、「そういうものなんだ」っていうのでは、似ているけれども深みが違うんですよね。「そういうふうに考えればいいんだ」にはまだちょっと疑いがある。でも、「そういうものなんだ」にはもう疑いはありません。それこそ、よりどころとしている土台が違う。それこそが前提が違う(変わる)ということなのです。
最近、私はパラダイムシフトという言葉を好んで使っているのですが、あえてその言葉を使いまくりたいくらい、世界の見方というか、物事への見方が激変した自分を実感しているからなんです。
激変するまでには、それこそヨガや瞑想、Self Realization Centerの学び、いろんなものが関係しているから、これのおかげで激変したという理由はひとつではないとはわかっていますが(これもとても動作学的考え)、それでも、最後の最後にどどーんと変わる自分を後押ししてくれたのは動作学であるとは感じています。
で、私は、かつての私のような生きづらい若い女の子になにか役立てることをしたいっていうのが自分の活動の一番のモチベーションで、自分をここまで変化させた動作学を知ることで同じように生きやすくなる人がいるんじゃないかと思って、動作学を伝えることに情熱を傾けています。
でも、それは私にとっての動作学というだけで、動作学そのものは、「いのちがあるということ」の本質を探究していく学問だから、ものすごーくいろんな分野にあてはめて活用ができるはずと思います。マガジン、読んでもらえたらうれしいですし、フォローしてもらえたらもっとうれしいし、「スキ」してもらえたらはげみになります(笑)。また、わかりにくい部分や、動作学的に解説してもらたい物事などトピックがありましたら、どうぞコメントなり、このサイトの問い合わせフォームなりでお知らせください。
自分が情熱を傾けることを書ける場があって、読んでくださる方がいるって本当にうれしい。インターネットありがとうとここ最近本気で毎日思っています。
この投稿も最後までお読みくださりありがとうございました。