最近の自己対話
フリーランスになってまるっと2カ月が経ったところでの振り返り。
動き出すと見えてくるものがあると多くの人がアドバイスしてくださったけれど本当にその通りと実感するここ数日で、この時点で見えてきたことをちょっと書き留めておきたくなった。もちろん、この先また変わることもあるけれど。
少なくともこの2カ月で、自分は「健康と幸せ」といったかなりざっくりと掲げたテーマの中でも、とりわけ「心身一如」の部分に興味と情熱を感じているのだなと見えてきた。
心身一如というのは、簡単にいうと心と体はひとつ、という考えで、もともとは仏教の考えにあった言葉と理解しているが、もちろん今では脳神経学などの発展と共に科学的にもそのつながりはわかってきている。
この心身一如というコンセプト、知識と知っているだけではもったいなく、どんどん主体的に積極的に使いこなして、自分らしい人生を構築していこうよ、というのがおそらく私の伝えたい一番のポイントのようだ(なんせ自己と対話した中で見えてきたことなのでまるで他人事ふうの語りですみません)。
具体的には、体の症状にたいしては、心の側面からアプローチすることで楽になることがあるよ、とか、心のしんどさにたいしては、体からアプローチすることで楽になることがあるよ、ということ。
そのアプローチは本当にさまざまあって、私は特定のどれかというよりは、さまざまなアプローチを手を変え品を変えていろんな場で伝えていくことで、必要としている誰かに届けることをしたいかもしれない。
というより、不調が表に現れたときだけでなく、より健やかで幸せであるために日々の生活の中でこの心身一如を理解して使いこなして自分らしい人生をまっとうしましょうよ、ということが一番伝えたいのかもしれない。
ものすごくドリーマーみたいな信条なので公には書きにくいけれど、より多くの人が本当に自分らしい人生をまっとうできるようになれば、その結果としてよりよい愛の世界の実現が可能になるのだ、私は心から信じている。
ところで昨日、大好きな幼なじみとZoomでおしゃべりをしたんだけど、彼女も似たようなことを考えていてうれしかった。
彼女の場合は、その「自分らしい人生をまっとうできる人を増やす」ために、また私とは全然ちがうスピリチュアルなメソッドを選んだ(選ばれたとも言えると思う)けれど、入り口は違うだけで目指すところは同じ。
そして、彼女と話したことで、私もスピリチュアルが大好きなんだけど、でも、スピリチュアルな見地からとは違うアプローチで自分はやっていくのだと気持ちがクリアになったこともうれしかった。
うまく書けないのだけど、自分の中にちょっとあったらしい、なんらかの執着がすっと消えたというか。
そもそも、生きるってことがもうスピリチュアルだから、何をどういう方法でやってもスピリチュアルであるしな、と。
で、この場でもちょいちょい熱く語っている動作学は、数あるアプローチのひとつというよりは、心身一如ということについて(厳密にはさらにもっと広いことについて)、根本的な理解を深めるベースの知識である、という感じかな。
「本当に自分らしい人生」って書くと、こうこうこういうのが私らしい、とかって、つい言語化して限定したくなっちゃうものだけど、自分らしい人生というのはそんなふうに言語化はじつはできないもので、その瞬間瞬間を生きる(まっとうする)ということの結果として表れるものでしかない、と今は思っている。
逆説的に言えば、「本当に自分らしい生き方」を模索したり目指したりする必要はなくて、今、その瞬間の心身と情報交換をして、心身と連携を取り続けて調和するってことを細かくやり続けて生きるということが、結果、自分らしい人生になっている、ということだ。
って、自分で書いておいて、「え?じゃあ、心身と連携を取る、第三の私がいるのね?それは誰?」って思ったけど。
もしかしたらその第三の私がボディ、マインド、スピリットと言われる中のスピリットの部分なのかもしれないけど、今回の文章は私の情熱の対象がクリアになったってことの記録なので、それ以外のことについては深く考えないことにする。
まとまりなくなったけど、 振り返りの自己対話をしながらそんなことを考えたフリーランス2カ月目でした、と強引に終えます(笑)。