動作学note 「【06】自分を満たすとはどういうことか」をアップしました

動作学noteマガジン「動作学というレンズを通して」の 06をアップしました。トピックは自分を満たすとはどういうことか、です(記事はこちら)。

私はこの「自分を満たす」の方法を長らく間違えていたんだなぁ。

ところで、もはや25年以上(!)にもなったライター&コピライターとしてのキャリアの中で、私がこのように自分の手がけたものを「見て!読んで!」と皆さんにお伝えできるようになったのは2014年にアメリカに来て以降です。

それまでの私は、さまざまな仕事を、「これは本当に私がやりたいことではない」と感じながら取り組んできていました。ライターの仕事なら編集者の意に沿うことを第一に、コピーライターの仕事ならクリエイティブディレクターや広告主の希望に応えることを第一にしているうちに、自分が消えてしまって、結果、どの仕事も、完成した時に、「これは自分がやった!」と自信を持って言えるものにはならなかったんです。

でも、それって、逃げていただけだ、と気づきました。忘れもしない2013年。前夫が亡くなった後、傷心で訪れたカリフォルニアはシャスタで、その気づきは訪れました。

逃げていたという表現はやや自虐的ですが、つまりは自己防衛だったと気づいたんです。

「これは本当に自分がやりたいことではない」ということをやっていれば、やったことがどんなに批判されても、評価されなくても、私のせいではないと思えます。だって、私は誰かのやりたいことを形にしただけなんだから。

私は、そのくらい、自己肯定感が低かったんです。自分の存在そのものが肯定できていないから、何かをやることで評価を得ようとしていたんですね。

その場合、「私のやること」=「私自身」になってしまっているから、私のやった仕事を否定されることは私の存在を否定されることに等しいわけです。そうなったらとても立ち直れないほど怖いから、「私がやりたいことじゃない」ということをやることによって、批判されても、「私じゃないし」と言えるようなことばかりしていたわけです。

いやはや、これに気づいた時の虚無感ったらなかったですよ。今までの人生、全部が自分じゃなかったんじゃないか…一体今まで何をしていたんだ…と。

亡くなった前夫は、自身がした仕事を皆によく宣伝していたけれど、あれは、彼が自分の仕事だと思って本気で取り組んでいたからなのだなということにも気づきました。この先の人生、前夫のように生きたい、彼のような仕事をしたい、と思いました。

と、そこまではシャスタで思えたことなのですが、では、何がしたいのか、自分が本気で取り組めることってなんなのか、ちっともわからず、私は途方に暮れました。その時、シャスタを案内してくれていた友が、芋虫が蝶になる時に蛹になるが、蛹の中で芋虫は姿形なくなるくらいに溶けるのだと教えてくれました。それが「変容」だと。今までの自分の価値観が全部壊れてしまって、自分だと思っていたものがなくなってしまった今はきっとあなたは蛹になったんだ、と。

あれから9年(!)。蛹が蝶になったというか、したいことを見つけて、本気で取り組めている、そのことが、ただただ本当に嬉しいです。嬉しいがあまり、同じことを何度も書いてしまっていますが、明るい方をめざして、光を見つけて、開いていった数々の扉の中で、最後の最後、ここさえわかっていたらもう路頭に迷わないだろうというくらいの光の扉であったのが私にとっての動作学で、みんながみんなそうではないことはわかっているけれども、私と同じような誰かに届くといいなと心から願っており、それゆえにまたしつこくお知らせすると思います。

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