遠慮は美徳でない
日本に帰ってきてすぐに、昔よく通っていたとある中華料理店にランチに出かけました。
亡くなった前夫のお父さんと一緒で、注文した料理を「分けて食べたいのでお皿をください」と伝えたら、そもそもそんな食べ方(注文の仕方)をする人は珍しいのか、「え?何を?(何を分けて食べるんですか?)」と怪訝な顔をされました。
「全ての料理を二人で分けて食べたいんです」と付け加えたら、「ああ、取り皿をお持ちすればいいですね」と言ってくださって小皿を持ってきてくださったのですが、料理は3つあるのに、本当に小さな取り皿を一人一枚しかもらえなかったんです。
料理の分だけ、というのはワガママとしても、せめてこの料理の量でこのお皿のサイズならせめて一人二枚いただけたらいいのになぁ…と私は思って、そのようにお願いしようかと一瞬思ったのですが、先ほどの応対の愛想のなさを思い出して止めました。
それだけならいいのですが、そもそも通常のサービスに追加したサービスを要求したということで、我々はお店にとってちょっと面倒臭い客、歓迎しない客になっているのかもしれないという意識が出てきてしまい、結局、食事の間ずっとなんとなく萎縮したままになってしまいました。
で、このことでもちろん腹が立つことはなかったのですが、なんとなく私は「日本はこんな感じで、余計な仕事をさせないように遠慮するのが美徳だったような気がする」と急に思ってしまって、遠慮という名の萎縮のベールを自分にかけてしまいました。
が、数日後に今度は懇意にしているお寿司屋さんに行きまして。
その日、食べたかったネタの一つがもう品切れしていて、次の来店の予約をするときに、お義父さんが「彼女が(今回食べられなかった)◉◉を次はどうしても食べたいみたいだから…」というようなことを言い出しました。
遠慮という名の萎縮のベールがかかっていた私は、そんな要求をする客はお店にしたらまた面倒臭い客になるだけだと咄嗟に思って「いいんです、いいんです」と手を振ったのですが、すかさずお店の方が言ってくれたんです。
「どんどんワガママ言ってください!」って。
しかも、笑顔で。
「もちろん、仕入れが思うようにいかないことはあるんですけど。でも、言ってもらえればそれを入れられるように努力はしますので、言ってもらっていいんです」って。
このことで私がハッとしたことは二つ。
一つは、中華料理店で起きた出来事は一つの店での体験に過ぎないのに、「日本では…」とでっかい話にしちゃっていたこと。
もう一つは、遠慮はやっぱりしなくていい、と思い直したことです。
もちろん、価値観は人それぞれですけれど、私はお互いお互いに遠慮なしで向き合える世界が最終的には理想だなぁと常々考えています。
全てには表裏がありますから、遠慮なしでお願いできるってことは、無理なことは遠慮なく断れる世界でもあります。
私の言葉で言うと、それはハートが開いたコミュニケーション、です。
で、そのためには、まずは自分がハートを開く、つまり遠慮しないってことがすごく鍵なんですよね。
ここからは動作学でも説明できるのですが、遠慮って、自分から出てくるものを控えめにする、つまり本来出てきたがっている何かを抑えることですから、自分を抑えているんです。
自分を抑えていることは生命のナチュラルな働きに反しているから無理を頑張っているとも言えます。
で、自分は無理をして頑張って抑えているわけですから、抑えていない人を見ると腹が立ったり苛立ったりするんですよ。
私は、あの寿司屋さんのように、人のお願いに寛大に応えられる人間でありたいから、自分も何かお願いごとをするとき遠慮しないでおこうと改めて思いました。
これも動作学のマガジンでもよくお伝えしていますが、お願い事をしてそれが叶えられるか否かはまた別の話なんです。お願い事を遠慮しないで伝える、というところまででいいんです。(ご興味あればマガジン【10】【11】もぜひご覧ください)
自分を大切にするっていうのは、自分に贅沢をすることではなくて、自分から出てきた全てのことを受け入れて、自分から出てきたことを大事にする(出てきたことに基づいて行動を起こす)ということなんですよね。
自分が自分を大切にできると、人がその人を大切にしていることも尊重できます。そういう世界になったらいいなと心から思っていて、じゃあ私に何ができるかっていうと、まずは自分を大切にするだ、というところに毎度落ち着くわけです。
いやあ、しかし、動作学は面白い。物事を見る枠組みというだけですから、だいたいいろんな場面に当てはめて見ることができるし、当てはめて見ると「なるほどねぇ」と思えることがたくさんあります。もうちょっと物語風に書いてみるとか、まだまだ動作学を伝えることについてもできることはあるなぁと、今回の滞在でいろんな友人と会えたことでたくさんの気づきをもらっています。もう滞在の目的は果たした、くらいの満足感に満ちていますが、まだあと2週間弱ありますので、残りの滞在も楽しく過ごします!