動くと見えてくるもので

いろんなところでいろんなことを書き殴っていますが、こちらのサイトでの投稿は久しぶりです。何度か書いていますが、ここは「皆さんにこれを伝えたい!」というような明確な意図がないけれど書きたい時、すなわち、自分の気持ちの整理のために近しいお友達とお話しするような感覚で書かせてもらっています。

さて、終末期のドゥーラ(End of Life Doula)の資格取得に向けた勉強がそろそろ終わりに近づいているのですが、そのタイミングで、ヨガのティーチャートレーニングをついにスタートさせて、毎日が新しい学びでいっぱい。刺激的です。

ヨガを始めたのは2005年。初めてヨガスタジオでのクラスに参加した時、最後のシャバアーサナ(死屍のポーズ)で涙が溢れたことをきっかけにハマりました。以来、ヨガは自分の人生に欠かせないことの一つになっていて、時期によって熱心さの度合いは変われど、ずっと続けてきていました。そして、ティーチャーコースのクラスに出るようになった今、ヨガ熱は再燃。先生が何か言葉を発するたび、「その言葉を聞きたくてやってきた」感が半端なく、先生とは前世でもきっとご縁があったのだろうなぁという勝手な想像をしながら、トレーニングに楽しくのめり込んでいます。

昨年末にはインテグレイティッド・ヒーリングのプラクティショナーになり、終末期のドゥーラについても学び、ヨガの講師の資格も取る予定…って、将来はどうなりたいのか、クリアな映像が見えないまま、己の情熱にのみ正直に動いて今ここ。まだものすごくクリアにビジョンが見えるわけじゃないのですが、なんとなく、活動としては終末期のドゥーラが主軸で、病気と共にある人、病気の人と共にいる人をサポートする手段としてインテグレイティッド・ヒーリングなり、ヨガなりを使っていきたいのかもしれない、というふうに考えるようになってきました。

というのも、勝手に前世からの縁と思っているヨガティーチャーコースのインド人先生が、実は病気と共にある人に対してもヨガを教えている方だったのですね。そんなことはどこにも宣伝しておらず、受講して初めて知ったのですが、トレーニングの生徒には医師や看護師さんもいて、なんとなく、いつも、病院と近いところで仕事したがる自分の傾向が、ここでも顕著だなぁと、他人事のように観察している最中です。

一方で、書く、伝える、というのも自分がこの人生でさせてもらいたい仕事だという思いも強くなっています。人のインタビューなり、企画者なり、取材ものなり、PRのお手伝いなり、方法にはこだわりがない…一方で、生きるってことは素晴らしいことだよね、どんなに苦難を感じていたとしてもそこには愛しかないんだよね、っていうことを書きたい、伝えたい、というふうに内容にはこだわりが出てきました。

とにもかくにも転換期で、昨日考えたことと今日考えていることは違う、ということも多く、先が見えません。でも、考えてみれば、先が見えてるってこと、ないんですよね。先が見えている、と思っているだけで、本当に見えてるってことは本来ない。だから、単に、今までと違うことをやっているから先の予測ができないってだけで、それをそんなに不安にも思っていません。

ただ、自分の心の奥の声を常に聞きながら、そして、風はどこへ運ぼうとしているのか、自分の外の出来事を通しても自分を感じながら、自分にとって光って見えるものを道標として、歩を進めたいと思います。

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