子ども、子育てに関連する個人的変化とともに

執筆させてもらっている動作学マガジン「動作学というレンズを通して」と、制作させてもらっているYouTube「滝口いず美のSpirit of a Woman」、それぞれ最新版は奇しくも子育てについてのトピックになりました。この投稿の最後にリンクを貼っておくので、よろしければぜひご覧ください。

さて、しばし、私の話。

私は子どもがいないので、子育てについては、我関せず、みたいな気持ちでずーっといました。

でも、何年前かな? ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』シリーズを読み返したとき、心に引っかかった文章があったんです。

正確には忘れてしまったのですが、「今の先進国は、子どもを産んだのは親の責任だから、親が責任持って育てよ、というスタンスの社会だ。でも、本来、子どもというのは社会全体で育てるものなのだ」という趣旨。

認めるのは恥ずかしいですが、その時、私は、気づいたんです。確かに、そう思っている節が自分にはあるぞ、と。

子育て中のお母さんがその大変さを訴えると、「それは大変だなぁ」とは思うのですが、どこかで「でも、その人生を自分で選んだんだよね(私には関係ない)」って心の中で思って、境界線を引いていたんです。私は子育てのことはわからないからお母さんの気持ちもわからないし、わからない人が何を言っても相手にされないだろうし、と。でも、今思うと、そもそもわかろうとする気がたぶんなかったんです。だって違う人生だって思っているから。

もちろん、親しい友人には子どもを育てている人が何人もいるのだけど、私は海外に出てしまったこともあって、友人たちの子どもと接する機会がそんなにないので、彼女たちがお母さんになっているという感覚が希薄なままでした。

ところが、前述の『神との対話』で子どもについて書かれた一文を読んで、私の中の何かがちょっとだけ変わりました。

面白いことに、そうしたら、それ以降、不思議と、友人の子どもたちとの距離がグッと近づきました。そして、子どもを育てている皆さんへのリスペクトの気持ちがグッと増しました。

だからって、「子どもが欲しかったなぁ」という気持ちには別にならないのですが(それだけ今が幸せなんだと思う)、子どもって人類社会の宝というか、未来の塊であり、可能性の塊であるから、どの子も自分と全く無関係じゃないんだって、もうちょっと高い視座から子どもという存在を見ることができるようになって、子どもがいない自分にもできることはあるし、子どもがいないからこそできることもあるだろうなぁと思うようになったんですね。

今、週一ペースで友人の家でIntegrated Healingの交換セッションをしているのですが、セッション後に時間があれば、子どもたちのお迎えに一緒に行って、ともにゲームをして遊んだりします。

たったそれだけのことだけど、毎日子どもたちのエネルギーを一人で受け止めている友人は、週に一度、私という緩和剤がいてくれるだけでものすごく助かる、と言います。へぇー、と私はびっくり。そんなのお安い御用だよ。

そんなわけで、かつての自分を考えると、自分が子育てというトピックに関心を持つようになり、そのトピックのコンテンツを作るようになっていることがすごく興味深いのです。とはいえ、動作学マガジンでも、Spirit of a Womanでもメインの話者は、私ではなく、子育てをしている親なので、ご安心ください。

人類の未来を育てている全ての親御さんにリスペクトを込めて。

動作学マガジン「動作学というレンズを通して」最新
どういう世界で子育てをしたい?

◉YouTube「滝口いず美のSpirit of a Woman」最新
「母親の感情は子どもには関係ない!?」

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