ちょっと前のことなのですが、夢の中である瞑想方法(メディテーションのやり方)を教わりました。
イメージを使う瞑想方法で、似たようなものはこれまでも本やクラスなどで習ったことがありました。ただ、夢で教わったのは細部が少しずつ違って、一言で言うと、これまでわたしが学んできたメディテーション方法の良いところを掛け合わせたみたいな内容でした。
起きてすぐにネットで検索をしました。夢で教えてもらった方法を実践している人はいるか? 伝えている人はいるか?
しかし、ぱっと検索した限りは、すべて同じという瞑想法は出てきませんでした。
そのとき、わたしは自分が検索していた動機を自覚して苦笑いしました。
誰かやっている人がいるかを調べることで、わたしは証明を求めていたのです。
これ(夢で教えてもらった瞑想法)は間違いではない、というお墨付きがほしかったのですね。
しかし、冷静になってみれば、瞑想の第一歩は、何かに集中することによって日常のストーリーから思考を切り離すこと。
とすれば、何かに集中することはそれだけで瞑想だとも言えるわけで、やり方に正しい(歴史の証明がある)、正しくない(我流である)はないとも言えるんですよね。
わたしたちは、というか、わたしは、なのですが、前例があったり先人がいると安心し、そうでないと信用しない癖があるんだなぁと気づかされました。
せっかく夢という、自分のガイドから受け取ったメッセージなのに。
それで思い直して教わった瞑想方法を実践して一週間。これがわたしには超絶気持ちがいいんです。だから、いつか機会があれば皆さんにお伝えしたいなと思っています。
ご興味ある方は、IHのセッションやヨガクラスの後に声かけてくださいませ。喜んでお伝えしますので。
さて、そんなわけで、今週、皆さんと一緒にワークしたいと思うのは、「本当は受け取っているのに受け取れていないメッセージは何?」ということです。
メッセージを受け取るって、なんだかサイキックっぽいですけれど、顕在できる意識だけが意識ではないと考えたら、顕在していなかった意識から何かが浮かび上がってくることは特別なことではないんですよね。
なんとなく受け取っているメッセージがあるのに、それを受け入れられない、実践できない、つい否定しまう、ということをしているとしたら、その背景にはどんな信念があるでしょうか?
わたしのように、間違ったことはしたくない、という信念でしょうか?
信念という表現ではピンとこない場合、それを受け取ることで何を恐れているかを自問してみるのもいいかもしれません。
ー人に嫌われることが怖い
ー誰かに責められるのが嫌だ
ーそういうのを受け入れると怪しい人になってしまう
ー自分が自分でなくなるようで怖い
もし恐れが見えてきたら、「それって本当?」と聞いてみます。
それをしたら嫌われるって本当?
誰かに責められるって本当?
怪しい人になるって本当?
自分でなくなるって本当? っていうか、自分って何?
このように自己対話をし始めると、わたしたちは往々にしてすぐに結論を知りたくなるのですが、意識を耕すというか、まずは問いを自分の中に投げ入れておくというだけでもいいんですね。脳が少しずつ関連情報を集めるから。
わたしは常々、自分ほどすばらしいガイドはいないって思っています。でも、この場合の自分というのはわたしにとってのわたし、あなたにとってのあなた、です。つまり、自己対話。
ただ、自己対話は一人でずっとやっていると袋小路に迷い込みやすくもあります。
だから、ぜひIHヒーリングのオンラインセッションを(サンディエゴにお住まいの方は対面セッションも)活用してくださいませ。
南カリフォルニアはミモザが咲き乱れて春の到来を実感しています。
愛を感じられる一週間でありますように。
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