先日、「天と通じているような日々」というタイトルでnoteの投稿を公開したら、読んでくれた友人が「わかる!」とコメントをくれました。
彼女は、わたしと同じ、若くして伴侶を亡くすという経験をしている人。
noteの中で、「死を間近に感じたときに生が際立つ、その感覚が好きだ」、というようなことをわたしは書いたのですが、彼女はその感覚を「愛に触れる瞬間」と表現してくれました。
ああ、まさにそうだ!
生が際立つというのは、つまり愛に触れている時間、愛を実感できている時間。
そうだ、わたしは愛に触れてたいのだ——。
ただ、この時点でのわたしの疑問というか悩みというか問いは、死を間近に感じなくても愛に触れていたい、ということでした。
愛ってそこかしこにあるというか、この世界の本質は愛だっていう知識はあるのです。
知識はあるけど感じられていないから感じたいのです。
とはいえ、感じるためにいちいち大切な人の死や病気、あるいはネイティブアメリカンの儀式のようなややエクストリームな体験が必要だとしたら、人生、波乱万丈じゃなきゃいけなくなりますよね?
人それぞれだろうけど、わたしはそれは嫌なのです。
もっと何気ない、平凡な日常でちゃんと愛に触れていたい——そのためにはどうすればいいんだろう?
そんなことを考えていたら、ちゃんと神様は答えをくれました。
ふと気づきがやってきたのです。
特殊な体験をすると愛を感じられるというのは、裏を返すと、特殊な体験をしないと愛を感じられないと自分が思っているだけだ、と。
そう、人は持っている前提を経験するのです。
ということは、わたしに必要なのは前提を変えることだ!
前提は変えようと思ったらすぐ変えられるとわたしは思っています。
ただ、念のため筋肉反射テスト(以降キンハンと呼びます)で確認したら、このトピックでIH(インテグレイティッド・ヒーリング)のセルフセッションができると出たのでセッションをしてみることにしました。
目標は「健康で、幸せでいて、愛を実感できると信じる」。
セッションではその目標の状態はどんな感じか、想像する工程があるのですが、あたたかい日差しの下、どこかのホテルのプールで、ぷかぷかと浮かんでいる自分のイメージが出てきてそこに浸っていたらキンハンが「それです!」と反応しました。
そうか、この感覚か。
この感覚って、圧倒的なJOY(よろこび)だなぁ。
そう思ったら、ああ、そうか、と急に納得がきました。
わたしはJOYを感じることを愛だと認識していなかったんだ、と。
苦しいこと、つらいことがあった後のよろこびは神からの愛だってありがたく受け取れるのに、何もないときにご褒美のようにもらえるよろこびは神からの愛だって思えてなかったのです。
言い直すと、つらいことがあったときのよろこびには神聖さを感じられるのに、何でもないときのよろこびは神聖ではなくてどこか邪道だと思っている自分が根強くいたのです。
でも、なんでもないときのよろこび、それも愛だよね?
というか、なんもしていないのによろこびを与えてもらえているって、もうそれこそ愛じゃなくて何なの!?
愛に触れていたかったら、何気ないよろこびをもっと追求していいし、素直に受け取ってよろこべばいいだけ。
だって、それこそが愛に触れている瞬間だから——。
セッションのおかげでそんな新しい考えを素直に信じることができそうです。
今回シェアしたのはわたしの持っていた思い込みについてですが、人それぞれいろんな思い込みを持っています。
思い込みに良い悪いはないし、思い込みを完全になくすことはできないと思います。ただ、持っている思い込みが自分の幸せに役立つか、そうでないか、はぜひ見極めたいところ。
もし、自分が体験している望まない現実が、自分が持っている思い込みによって作られているとしたら? 思い込みを変えることで現実が変わるとしたら?
IHヒーリングは、無理なく、本人のペースで必要な気づきをくれて変容を促してくれるパワフルなヒーリングです。
オンラインでのセッション、再開しておりますので、ご興味ある方、お気軽に連絡くださいね。
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最後に、noteではヨガやヒーリングとは直接関係ない、日々の思いや気づきをエッセイとしてつづっています。もし何かしら役立つと思ってもらえたら、 noteでもつながれるとうれしいです☺️
ではでは!