04.01.2020

大好きなプロサーファー、ジョエル・チューダーが
自身のInstagramで「母のところで過ごしている息子から
こんなエイプリール(のウソ)がきた!」と共有していた。

見ると腕に包帯をぐるぐるに巻いた次男の姿。
「お母さんの運転する車から飛び降りてケガした」とある。
彼はいま小学校低学年くらいの年齢のはずだが、
なかなか手の込んだFoolだと感心してしまった。
当のジョエルも「あいつめ」というような言葉を放っていたが
そこには、息子がこんな手のこんだウソを仕掛けられるくらいに
成長していることへのよろこびみたいなものが感じられた。

お会いしたことはないが、わたしの大好きな人のもう一人、
糸井重里さんはこんな趣旨のことを言っていると聞いた。
「クリエイティブの敵は
『そんなことしている場合じゃない』という言葉だ」。

「そんなことしている場合じゃない」。
これは他人から言われる場合もあるし、
自分で自分に投げかける場合もありうる。

いまはウイルス騒ぎで状況が状況だから
身の安全を守ることや、
医療崩壊を防ぐための政策に協力することが
何より大事だとは思う。けれど、
せっかく思いついたことがあって
しかもやれないことではないのに
「そんなことしている場合じゃない」と
思いとどめてしまうことが続くと息が詰まってしまう。

この最中に盛大なエイプリールフールをするのも
考えようによっては「そんなことしている場合じゃない」だ。
けれど、日々の中の楽しいことって、たいがいは
「そんなことしている場合じゃない」ものなんじゃないか。

ゆったり構えて、心は自由に。

「そんなことしている場合じゃない」ものごとも
排除しないでいきたいなぁと思う。

逆に、誰かがしていることを見て
「そんなことしている場合じゃない」と
責める気持ちが湧き出たら
自分が何かをがまんしているサインだと
思ったほうがいいだろうね。

03.30.2020

自宅待機の期間を楽しく過ごしたいなぁと考えて、
一部で話題のMaster Classを取ることにした。
ご存知の方も多いかもしれないが、Master Classは
「その道のプロが講義する」オンライン講座のコースだ。

オンライン講座そのものはもう珍しくないけれど、
Master Classは講師陣の豪華度で群を抜いている。
マーティン・スコセッシの映画制作コース、
ナタリー・ポートマンの演劇コース、
セリーナ・ウィリアムスのテニスコース、
『Vouge』の名物編集長、アナ・ウィンターなど、
そのジャンルについて特に学びたいと思っていなくても
その人の話なら聞いてみたいと思う著名人ばかりだ。

直接対面して学ぶわけではないので
実践的で技術的な内容は不得手かもしれない。
けれど、あのマーティン・スコセッシが
自分の映画制作について語るのを見られるなんて、
わたしにはそれだけで十分にもとは取れたと思える。

しかも、わたしは実践的で技術的なこと以上に、
その人の根幹をなす考え方からのほうが
学べる(盗める、真似できる)ことは多いと考えているので
なおさらである。

考え方を盗みたいという観点で見ると
正直、ジャンルはなんだって面白い。
専門外でそこまで興味はないジャンルでさえ、
その道を極めた人の話はやっぱり何かしら得るものがある。

現時点では日本語字幕はなさそうだけど、
これ、日本で流行ってもよさそうな気がする。
(もう流行っていたとしたら、認識不足、すみません)
あるいはこれの日本版を作っても面白そうだ。

日本版を作るとしたら、誰のどんな講座があるといいかな。
そんな妄想までして楽しんでみる。
わたしだったら、松本人志さんのお笑い論を聞きたいかな。

03.29.2020


アーティスト、スーザン・ウィックストランドの
コラージュ&ミックスメディアのクラスシリーズが終わった後も
細々とコラージュ制作は続けている。

写真、切り絵、パターン、文字、版画にペインティングまで
自分の好きな要素がこれに全部詰め込めると知ったときの
わくわくした感覚はいまも変わらない。

おかげで、たくさんのチラシで埋もれた郵便受けが、
コラージュ素材のお宝箱になった。
これまではただ「ステキ〜」と眺めるだけだったアート作品を
「どうやって作ったんだろう?」という観点で見るようになった。

新しい趣味をもつことは、
これまでずっと続けていたいつも生活に
新しい視点を加えることにもなるのだね。

そういえば、サーフィンもそうだった。
波乗りをする前は季節によってうねりが違うとか、
そんなこと知りもしなかったし、
潮の満ち引きや、大潮やら小潮やらの存在は知っていたけれど、
それがどんなふうに海の様子を変えるかなんて
そもそも興味がなかった。

視点が多いほどすばらしい、
という単純な話ではないとは思うけれど、
視点が多いほど、見える世界が広がるとは言える。
見える世界が広がるほど、
彩りは豊かになって楽しいとも言えそうだ。

でも、逆にひとつの趣味をプロレベルに極めたら、
物事の本質のところまで辿り着くことができるような気がする。
その本質は結果的には他のどんなジャンルにも応用できる
自分の血肉になるんだろうと思う。

ひとつの趣味をプロレベルに極めることも、
どれも素人レベルだけれど多趣味であることも
どっちがいいわるいじゃなく、
どっちもありだという結論になってこの文章は終わる。

自分も含め、なぜか人はつい、物事の優劣を決めたがって、
自分がいいと思ったことは「優」だとばかりに人にすすめがちだけど、
自分がいいと思ったことは単に自分が好きであるというだけで
「優」なわけじゃないという謙虚さは忘れないでおきたい。

03.28.2020

何かアイデアを練るとき、
ありとあらゆる情報を集めて頭の中でこねくりまわした後で
寝るなり何なりでリラックスすると「降りて」くるというのは
よく言われることだ。

これ、2段階であることが大事で、
こねくりまわして考える過程がないと
そもそもアイデアのもとになる材料が少なくて
的確なアイデアが「降りて」こない。
その後のリラックスも重要で、リラックスすることによって
先ほど新たに詰め込んだ材料やこれまでの経験から入っていた材料が、
脳内の回路でぴんと繋がるということが起こり、
「降りて」くるのだという。

先週、仕事の対応でめちゃくちゃ頭を使った後に
週末、自宅でのんびりしたせいか、
瞑想のあとで、ひとつアイデアが降りてきた。
そのアイデアは仕事でいろいろ頭をひねって
考えたこととは直接は関係なく、
これまで考えてきたことともちょっと違って、
正直、思いがけないものだったけれど、
ものすごくわくわくするアイデアでもあった。

相方に言ってみたら、乗ってくれて、
「たとえば、こういうのはどうだろう?」と
さらにいろいろアイデアが膨らんだ。
周りの人がこういうふうに反応するのは
経験的にいって、いい傾向だ。

これまでだったらいますぐにでもできることからスタートさせて
人にも公開しちゃうことが多かったけれど、
このアイデアについては少しじっくりプランしたい。

どういうやり方で形にするのが一番わくわくするか、
シミュレーションしてさらにアイデアを育てていきたい。
また、この段階では、人に言ってみる、ということも大事だろう。
新しいアイデアが加わったり、協力者の存在を知ったり、
思わぬ関係者と繋がったりするかもしれない。
さらに調べてみるとか、誰かに言ってみるとか、
そういうのも実行で、すぐに形にするだけが実行ではないのだ。

ああ、わくわくするなぁ。
というこの状態にあるいまを楽しみながら、
妄想を膨らませている。

03.27.2020

この騒動の中でわりと冷静に日常を過ごしているつもりだが、
無事に4月号の印刷データを印刷所に回した金曜日の夜、
さすがに疲れている自分に気づいた。

自宅待機命令が出てさまざまなビジネスがクローズしたのが先週末。
でもうちはメディアで「Essential」なジャンルとみなしてよいらしく、
4月号を印刷して発行できることがわかった。
となると逆に急いで対応すべきことが山ほどあり、
同時に先がどうなっているのかも見越して判断しなきゃいけないことも多く、
これまでと違う頭の使い方をいっぱいした。
それで、さすがに脳が疲れたのだと思う。
仕事をしてアドレナリンが出ているうちはよかったが、
金曜日の終業とともに急に疲れを自覚した。

こういうとき、犬が家にいてくれることに
ほんとうに救われる。
何を話すわけではないし、何をするわけでもない。
ただしあわせそうに寝ている顔を見るだけでほっとするし、
二匹が楽しそうに遊んでいるのを見るのも和む。

とっても頭を使った1週間だったので
週末は犬と相方とのんびり過ごそう。

昔はこういうとき、「またやりすぎてしまった」と
つい熱中して疲弊してしまった自分を責めるような考えを持っていた。
いまとなってはなぜそんな思考回路を持っていたのか謎だ。
何かで自分を責めたかっただけで、何をしてもしなくても
自分を責める理由を探していただけなんだろうな。
その思考回路から抜けて初めてものすごくよくわかるなあ。


03.25.2020

本棚を見るとその人がわかる、と昔はよく思ったものだけど、
いまの時代は本棚よりパソコンかケータイかもしれない。

どんな背景画面をトップに使っているか。
どんなアプリをショートカットできるようにしているか。
どんなサイトをブックマークしているのか。
どんな検索履歴が残っているのか。
どんな音楽が入っているか。
どんな写真が保管されているか。
それで、その人の好みがなんとなく見えそうだ。

さらに、どんなふうに整理されているかからも
その人の性格が垣間見られそうだ。

デスクトップは整然としているか、いないか。
メールなどの未読が溜まっているか、いないか。

こんなことを思ったのは、
久しぶりにiPodで音楽を聞いたからだ。

電源を入れて画面が立ち上がったとき、
かつての自分と再会したような感覚があった。
アメリカに持ってきたもののほとんど使っていなかったから
中味は日本にいた頃のまんまだったのだ。

そうだ、あの頃は、この曲をよく聞いていたなぁと
懐かしくなる曲ばかりだった。

逆にいうと、いまは、あの頃よく聞いたような歌は
ぜんぜん聞いていないということでもある。

それでセンチメンタルになったわけじゃなくて、
ただ、いろんなことが変わったなぁ、とだけ思った。

過去は振り返るなってよく言われるけど、
こうして時々、過去の自分を振り返ると
いまの自分にいたるまでの歩みが見えるようで
それはそれでいいもんだ。


03.24.2020

カリフォルニア州に「自宅待機命令」が出て、
在宅勤務になって数日が経った。

もともとわたしはフリーランサーのキャリアが長く、
家で働くのはむしろ得意としている。
ただ、この6年はずっと会社勤務だったせいか、
仕事を終えた後、仕事モードから
自分を切り離すのに少し苦戦している。
家で仕事に集中するのに苦はないのだが、
同じ家にいながら気持ちをオフに切り替える方法を
うっかり忘れてしまっているようだ。

思えば、会社に務める前までは、
自分は「会社勤務は無理な人」だと思っていた。
いまも向いているか向いていないかと言えば、
フリーランサー的な動きのほうが向いているとは思う。

ただ、40半ばになって、確信したことがある。
「わたしは○○○な人」という○○○は、ほとんどの場合、
これまでの習慣(無自覚なのも含め)によって形成された
「習慣によるキャラクター」に過ぎないということだ。

かつてわたしは、
「わたしは会社勤務は向かない人」と思っていた。
けれど、それはそれまでの思考や行動の積み重ねで
できたキャラクターに過ぎなかった。
いま会社勤めは以前考えていたほど苦じゃないし、
なんならこれが会社の楽しさだなぁと感じることも多い。
わたしの働きぶりを見た人は
むしろわたしは企業や組織にフィットした人に
見えている可能性も高い。

思考か行動を変えれば、習慣も変わって、
そのアウトプットとしてキャラクターも変わる。

これを自分で体得できたことの一番のメリットは
なりたい自分や、やりたいことを見つけたとき、
「わたしは○○○な人だから難しい」と思わなくなったことだろう。
よく言われる「自分にかけている制限を外す」ということが、
自然とできるようになるとも言える。

自分にとってはこの数年でようやく気づいたことだけど、
これ、とっくに知っていて、できている人も多いでしょうね。
でも、「えー、うそー?」とよくわからなかった人には、
ぜひ人体実験していただきたいです。

われわれは人生を変えるのにとかく派手なことを期待するけれど、
じつは人生を変えるのはこういう地味な
実践の積み重ねだってことがわかってきたのも
40代になってからだなぁ。