02.08.2020

オペラナイト。サンディエゴオペラの『Hansel and Gretel』。前回の『Aida』は演出が斬新すぎてがっかりしてしまったが、今回はがっかりということはなかった。でも、去年初めて見た『Rigoletto』の感動は越えない。個人的にはテノールの出番が多い演目が好きなのかもしれない。サンディエゴオペラ以外の公演も見てみたいと思うようになった。

02.07.2020

犬の二頭飼いというのは、昨年ラブラドールのエリーがいた1カ月くらいしか体験したことがなかったが、犬同士が仲良しになった場合には非常にいい。うちのは大型犬と小型犬だけど気が合うようで、二頭が笑いながらじゃれあって駆けずり回っているのを見るとしあわせな気持ちになる。おかげで家は泥だらけだけど。

02.06.2020

印象的な夢を見た。どういうわけか知らない男の子の面倒を見ることになって、見守りながら遊ばせていたのだけど、その子が高いところから落ちて死んでしまう夢。彼が落ちたとき、夢の中のわたしは大変に冷静で、目が覚めてからも夢に対してイヤな印象は残っておらず、むしろ自分の中の何かが(いい意味で)葬られたのだと感じた。この間、会社の会合で30代の女の子達と話して、彼女たちがいま直面している恋愛の悩みなどを聞いたのだけど、あまりにかわいらしくて、彼女たちは本気で悩んでいるのは重々承知のうえで、「いま悩んでいるようなことは年取ったらどうでもよくなって、悩んでいたことが懐かしくなるから、悩んでおけばいい」とばばくさいこと言ってしまった(笑)。良くも悪くも、わたしはあの頃のようなことでは悩めない。年を取ったなぁ。でも、戻りたいかというとそんなことはなく、ただ、45歳のわたしのいまを受け入れて先を見据えて進もうという気持ちが増した。その決意が、幼い子を葬るという夢に象徴的に出てきたような気がした。

02.05.2020

髪を猛烈に切りたい衝動にかられ、美容院に予約を入れた。決戦は金曜日、ならぬ土曜日。わくわくして相方に伝えたら「もうちょっと考えてからにしたら?」と冷静な返事。「いやいや、こういうのは勢いが大事なんだよ、衝動に従うことに意味があるのだ!」とまったく論理的でない持論で押し返したら、「だって前にもそんなこと言って、切った後に、やっぱり長いほうがよかったなって後悔していたじゃん」と。そう言われれば確かにそういうことがあったような…でも、よく思い出せない(笑)。ということは、たいした後悔じゃなかったのだろうということで決行の決意変わらず。こんな感じで、アーユルヴェーダで言えばヴァータが強くてすぐに飛んで行こうとするわたしを、カファが強そうな相方が多少引き止めてくれることでバランスが取れている気がする。亡くなった夫との間では、夫がすぐ飛んで行くほうで、わたしは引き止めるほうであった。陰陽みたいなもので、相対する相手によって変わる役割なり特徴なりがあるのだろう。亡くなった夫と相方は似ている部分もあれば似ていない部分もあり、似ている部分を求めてしまう時期はどうやらわたしの中では過ぎ去ったようで、いまはそれぞれ異なる個性の人とともに生きる機会を2回ももらえ、この1回の人生で、密度の高い異なる体験ができるということに光を見いだしている。

02.04.2020

亡くなった夫のお母さん、つまりわたしにとって義理のお母さんは、わたしが嫁入りしたときには亡くなっていた。お母さんのことを、夫がどれだけ好きだったかは彼の言葉の端々からわかり、当然のことながらわたしもお義母さんに(勝手に)いい印象を抱いていた。結婚する前も、してからも、亡くなったお義母さんが残したという格言の数々をわたしは亡夫から聞かされ、その度にすばらしい精神の持ち主であったのだなぁとの思いは増した。そんなお義母さんの格言のひとつが「生きている人のことを優先しなさい」。お義母さんは長患いで、いつ何があるかわからないと息子である亡夫は常に気にかけていたわけだが、お義母さんは「何があったとしてもこれから死ぬ人のことよりこれから生きていく人のことを優先しなさい」と言っていたそうである。さて、自分でもどんな心持ちで迎えるか予想できなかった8年目の亡夫の命日。彼のことを偲びながら、でも、わたしは普通に犬の散歩に行き、仕事に行き、ごはんを食べている。それでいいよ、生きている人のことを優先すればいい、そう言ってくれるに違いないと思うのは自己弁護か。

02.03.2020

義理のお父さんから、お願いしていた書類とともに、地元のおせんべい屋さんのおせんべいが送られてきた。一枚一枚丁寧に包まれている、分厚くて大きいおせんべい。ああ、これはアメリカにはない。日本の食材には困らないカリフォルニアでも、これは手に入らない。そもそも大量に流通していないローカルの店であるってことも魅力であり、その魅力を保持する限り、わたしの手元には簡単に届かないのだ。ああ。いまの暮らしが最高にしあわせでも、それとは別にホームシックはあって、わたしはいつも心のどこかで鵠沼が恋しい。だけど、一方で、わたしが恋しがっているのは鵠沼という土地だけではなくて、亡くなった夫と犬と義理のお父さんと暮らした、鵠沼でのあの日々のことなのだろうとも感じている。だから日本に戻ったところで恋しさは変わらないだろうと。過去を振り返ってめそめそしているわけではなくて、ただ、意識の中には、その恋しさはいつもあるのだということ。そこに焦点を当てているか当てていないかだけで。夫を亡くした寂しさについてもそう。その寂しさは、いましあわせであることとなんら関係なく、意識のどこかにはある。その意識に強く焦点が当たるときとそうでないときがあるだけの違いで。最近はむしろ、その恋しさなり寂しさなりに焦点が当たる時間を楽しんでもいるかもしれない。亡くなった夫と生きたあのわたしが、いまのわたしの中に確実にいるということを、わたしは確認し続けて生きたいのだ、おそらく。

02.02.2020

味噌漬けにしていた瓜が上手に漬かった。漬物など、むしろ日本にいたときに作ったことはなかったが、ジプロックで簡単に漬ける方法をKayo Dietの有馬佳代先生が教えてくださって、余った野菜でちょこまか漬物を作ることが習慣になりつつある。自分で作ると塩分の量を控えめにできるのがいい(逆に市販のものの塩分量の高さに驚く!)。昨日今日とあたたかく春の陽気。ちょっと停滞気味だった、いろんなものへの興味や気力が復活してうれしい。太陽大事。