エッセイ Category

07.01.2020

From NOTE 人生で起こるできごとは意識的であれ、無意識であれ、どうやら自分で引き寄せたり作り出したりしているらしい、ということが腑に落ちるようになってからは、占い師のもとに行ったりすることはまずなくなった。もちろん、占い師というものを否定するわけではなく、単に今、わたしは必要ないと感じているだけで、今後通うこともあるかもしれないし、ないかもしれない。 ただ、人生に迷える子羊だった20代30代はわりとよくお世話になった。とりたてて大きな問題はなかったのに、いつも「生きづらさ」を抱えていたわたしは、高校時代に「人生はそんなもんだ」と割り切って乗り切ろうとしたが、すぐにまたつらくなり、“どこかにこの重荷を下ろした人生が開ける扉があるような気がして”、心理学やら精神世界やらセラピーやらカウンセリングやら占いやら、ピンとくるものがあれば手を伸ばしたし、足も運んだ。 そんな迷い子時代に占い師からもらったアドバイスなり言葉なりで、よく覚えているものが2つあるので、それについて書く。 ひとつは今から20年以上前の大学生時代、池袋のどこかのショッピングセンターの占いコーナーで占ってもらったときの言葉。 何かを制作することに興味があったわたしは、卒業したら映画かテレビなど映像系の仕事に就きたいと考えていたのだが、占い師から「あなたは体力もないし、精神的に敏感で繊細すぎるから、映像制作は向かない」と断言された。それはかなりの言い切りっぷりであった。「映像の世界は、若いうちは、体力と精神力が勝負のようなガテン系の世界なので、あなたはすぐに滅入ってしまうからダメだ」と。 もし何かを作りたいなら、出版がいいと占い師はアドバイスをくれた。出版ならそこまでガテン系でなくてももぐりこめる、というような話だったと記憶している。 言われたとき、そうかもなと素直に思った。もともと出版業界にも興味はあったので、受け入れやすかったというのもある。 実際に進路を選ぶにあたって、その占い師の言葉をどのくらい意識していたかはもう覚えていないが、わたしはいわゆる就職活動はせず、大学在学中にライターとしてのアルバイトを始めて、そのままフリーライターになった。 雑誌出版の世界も、なかなかの体力と精神力が求められるはずとは思うが、わたしは会社所属の編集者ではなく外部委託のライターだったので、求められるクオリティーの原稿を締切までに出せばそれ以上のことは求めらなかった。体力と精神力の乏しかった自分がその後ずっと同じ業界に携われているのは、最初のスタートで心身を潰さなかったからに他ならず、そう思うと、あの占い師の言葉に今さらながら感謝が湧き上がる。 もうひとつ、覚えているのは、30代前半のときにもらったアドバイスだ。 当時、結婚したいのに結婚する気がない人やできない人ばかりと縁がある自分には何か問題があるのではないかと悩み、紹介がないと会うことができないという占い師のもとを訪れた。 その人は今思うと占い師というよりカウンセラーというかコーチのようだった。わたしは結婚したいと思っているのに、できない、どうしたら結婚できるのだろうか、という相談をした。ホロスコープだか何だかを見た後にその人が最初に言ったのは、「あなた、今日着ている洋服、本来のあなたの好みじゃないはずなんですよ。お母さんの好みのものを着ているって自分で自覚しています?」だった。 わたしはそれまでもいろいろあってカウンセリングなどに通っていたので、母の支配(母のせいだけでなくわたしが勝手に請け負った支配)からはだいぶ脱出していたと信じていた。でも、言われてみれば、その服は「貧乏臭くなく、年相応にちゃんとして見える」という理由で選んだ服であった。「貧乏臭くなく、年相応にちゃんとして見える」は、母が洋服を褒める際によく使う言葉であった。 「男性も、お母さんの好みで選ぼうとしているんですよ、あなたは」と占い師は続けた。今、あなたの周りにいてあなたが結婚したいと考えているような男性は、本来のあなたならそもそも選ぶこともしない、好きにならないような人だと。 言われるまで気づいていなかったくせに、言われてみると図星すぎて涙が出てしまった。 その占い師は「結婚は必ずしもしなくていいとわたしは思っていますけど、どうしたら結婚できるか、というのがあなたの相談内容なので、どうしたらできるかをお答えしますね」と言って、いくつかかなり実践的なアドバイスをくれた。そのうちの一つが「自分が結婚しても、自分のお父さんとお母さんのような家庭を作るわけではないと、自分に何度も言い聞かせてください。まったく違う夫婦&家族を作るのだと意識してください」というものだった。 要は、「結婚したら父と母のようにならねばならない(そうしないと母が認めてくれない)」と無意識に思い込んでいて、それだと求める人生と違ってしまうから、だったら結婚しないという方向に自分を無意識に仕向けているということだ。だから、そもそも結婚というものに対して持っているイメージを変えろというアドバイス。 誤解のないように補足すると、父母は今も仲良しで元気でしあわせに暮らしていて、「あんなふうになりたくない」というようなひどい夫婦ではない。ただ、わたしにはわたしの生きたい人生があって、その形は父母とは違うというだけのことだ。 その占い師のもとを訪ねてからしばらくして、わたしは、付かず離れずの腐れ縁で、一番好きだった人と結婚した。母は当初はその相手を快く思っていなかったので、自分としては親元に帰りにくくなることを覚悟しての決断だった。 その結婚は、夫の死で終わってしまい、ずいぶんつらかったが、あれから8年以上が経った今は、亡夫がわたしの人生にもたらしてくれた良いことばかりが思い浮かぶ。なんと素晴らしい経験をさせてくれたのだろう、さすがわたしの憧れた人だ、と。 夫を在宅で看取ってしばらくしてから、母に言われたことがある。「あなたは、お母さんが経験したことのないような人生を経験している。お母さんの想像できないような人生を生きている。だから、お母さんはもうあなたに教えることはないし、あなたはあなたの人生を生きてほしい。しあわせであってほしい。望みはそれだけ」。 もしかしたら、この言葉をもらったときが、「母の望む子にならねば」の呪縛から本当に解き放たれた瞬間だったかもしれない。それからわたしは人生を生き直そうと単身、海外移住を試みた。渡米したことは、実際に人生を変えたと思っている。それから8年経って、人生を共にしたいと思える新たな人とも出会った。 今、カリフォルニアで、ライターと雑誌編集の仕事を続けながら、相方とサーフィンをして、なんならスケボーまでして、犬2匹と、気ままに笑って暮らしている。子どもはいないが、いないからこその人生もまたありとこれまでの自分の全てに満足している。 最初の結婚をする30代半ばまで、本当に生きづらかったが、気づけばあの生きづらさは今、影も形もない。“どこかにこの重荷を下ろした人生が開ける扉があるような気がして”と冒頭に書いたが、実際にその扉はあったと今言える。あのときの占い師にありがとうと言いたい。そして、それ以上に、占いであろうと、カウンセリングであろうと、なんであろうと、必死に扉を探し続けて諦めなかった自分を、褒めてあげたい。

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