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【本】『道行きや』

詩人、伊藤比呂美さんの最新刊『道行きや』が良かった。読んだあとに心をもっていかれてしまった。まるで伊藤さんになったような気持ちになった。もちろん、伊藤さんがどんな気持ちで書いたかはわかりりようがないから、正確にはこの表現は正しくないけれど。でも、人生という旅路を、実際に土地土地を漂流しながら歩いている伊藤さんに自分の姿が重なるようであった。それは私も伊藤さんと同じように日系移民であるからだろうと最初は思った。でも、しばらくして、いや、これははやり伊藤さんのすごさなのだと思うようになった。読み手をぐぐいと言葉で現れているもののずっと奥に引き込んでゆく。その場所、つまり言葉の奥の奥の部分では多くの人が何かしらの共通項を持っている。集合意識的なものかもしれないし、そのへんの専門用語はわからないけれど、とにかく自分のことを題材にして、しかし誰もに通じるような話にしている、そういう点で確かにこれは「エッセイ」ではなく文学なんだと理解した。

「MIss」をそのまま「ミスする」としたり、わたしも常々日本語で直接言い換えるのが難しいと思っている言葉が、そのままカタカナで出てきたり、アメリカの友達の言葉を訳すのも、なんというか、そうそう、わたしもそのように理解していると思えるような、話している英単語がありありと思い浮かぶような訳し方だったりして、そんな細部もさすが詩人であった。

【本】『魔法をかける編集』

眠る前に読み始めて、結局、そのまま読破してしまう本には久しぶりに出会った。編集者、藤本智士さんの著書『魔法をかける編集』。

なんとなく感じていて、なんとなく思っていて、でも、明確に言葉にできなかった自分の思いが全部ここに入っていた。

まず、藤本さんは本の中で編集力とは「メディアを活用して状況を変化させるチカラ」と定義している。何かを作ることよりも、それを作ることで世界がどう変化するかの方が大事だと。

同時に、「メディア(媒体)」というのはこれまで言われてきたメディア(テレビや新聞、雑誌やインターネット)だけではないと彼は言う。たとえば、わたし個人だって媒体であるし、街や商品だって媒体である。

どういう風に世界を変化させたいのかのビジョンがあって、それを実現するために「メディア(媒体)」を活用することが編集である。だから、編集は手段であって、目的ではない。

この理論でいうと、たとえば、「これが流行っていますよー」と話題の情報を束ねただけの媒体だったり、何でもいいから注目を集めてバズを起こして視聴率やPVを稼ぐというような媒体は、編集したとは言えない。

「こういうものを作りたい!」という思いだけで作るものが続かないのは、作ること(編集)を目的にしてしまっていて、その先に何をどう変えたいのかのビジョンがないからだ。

とにもかくにも、書かれている内容に、うんうんと頷きまくり。でも、わたしは既存媒体に感じる違和感のおおもとを言葉にするほど整理できなくて、結果、既存媒体のルールで働き続けてきたから、最初から違和感を抱いて独自の道を進んできた藤本さんはすごい。

これを読んだおかげで堂々と言えるようになったけど、わたし自身、正直にいうと、雑誌の誌面を作ることそのものには、そこまで思い入れがないのだ。適切な方法であればいいだけで、雑誌でなくてもいいし、他の媒体でもいい。それどころか、たとえばリトリートの企画とか、そういうのでももいいというか、そういうのにも興味がある。

そんな感じで、四方八方に広がる自分の興味を、一言でくくれなくて、はて一体自分は肩書きでいったら何になりたいんだろうとよくわからなかったのだけど、その先のビジョンというのは一貫してあるから、堂々と編集者と名乗っていいかもしれない(本の中では「勇者」とも表現されているけれども)。

いろんなジャンルに興味があって手を出したがるのは、社会の何をどう変えたいかというビジョンを実現する手段をいっぱい思いついているというだけのことで、なんら問題なかったんだと思えたことがこの本を読んだ一番の収穫。

あ、でも、思いついているだけでは、編集の仕事になっていませんな。アメリカにきたおかげでずいぶん図太くなれたので、前は自分にはとても無理と思えたことも挑戦できそうな気がする。動けることから動きたいなぁと思い始めた2019年。