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Spirit of a WomanのYouTubeチャンネル開設

滝口いず美ちゃんが発起人であり代表であるプロジェクト、Spirit of a WomanのYouTubeチャンネルがついにスタートしました! 僭越ながら、Spirit of a Womanの運営スタッフの一人として、YouTube動画の撮影と編集、そしてInstagramアカウントの運営をやらせていただいています。 YouTubeチャンネルはこちらInstagramアカウントはこちら いず美ちゃんと初めて出会ったのは、ずいぶん前、共通の友達のベビーシャワーでした。その時は、ほとんど話す機会はなく、夫と私が先においとますることになった時に、主催者が「あ、まだ紹介していなかったね、こちら、Integrated Healingのいず美ちゃん」という感じで、さらっと紹介してくれて、挨拶を交わしただけでした。 ただ、それだけでも私にはなぜかすごくインパクトがあって、この人にはいつかインタビューをするか、何かしらでもっとお話を聞きたいと強く思っていました(が、いず美ちゃんの方はこの時の私の記憶はないらしい笑)。 それが叶ったのは数年後。 2021年の夏に、私は雑誌のインタビューで、いず美ちゃんと再会します(いず美ちゃん側にしたら「初めまして」ですが笑)。その時のインタビューはIntegrated Healing LAを紹介するシリーズもので、半年くらい皆さんとやりやりとりをさせてもらったのですが、その過程で、私は彼女と、Integrated Healing LAのプラクティショナーの皆さんが放っているオープンハートな雰囲気に心惹かれ、その年の年末に開催されたIntegrated Healing講習会の基礎講座を受講したのでした。 YouTubeの話が出たのはその後。私は雑誌編集はやってきましたが、動画編集は全くの素人で、iMovieを数度いじったことがあるだけだったにも関わらず、「やる!やりたい!」と答えていました。 そんなふうになんだかトントンと話が進んだので頭が追いつくのがしばらく後だったのですが、実際にプロジェクトが動き出して頭が追いついてくるにつれ、ここに関われていることは本当に光栄だという思いが深まってきています。 これ(滝口いず美のSpirit of a Woman)を広めることは、世界の多くの女性を救うことだって、心底思うのです。 何より、私自身が、彼女との撮影やMTGを通して、気付かされたり、癒されたりしているのですよ。癒されるっていうのは、彼女のパワーで私が癒されるというのではなくて、自分が本来持つパワーをどんどん取り戻している、そんな癒し。そして、同じことがきっと多くの女性に起こるだろうって感じています。 Sprit of a WomanのYouTube動画は週1ペースでアップしていく予定です。 ぜひお時間ある時にご覧ください。そして、何か響くものがあればチャンネル登録してもらえたら嬉しいです。 長文、お読みくださり、ありがとうございました!

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自己肯定感を高める方法

noteで連載している動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の最新記事をアップしました。

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ぼんやりさせておく vs はっきりさせておく

唐突だが、私は、自分の意識の中にぼんやりとあるものごと、つまり一言で言うと目に見えないことや形のないものについて、スパッ!と形容する言葉を見つけることが好きだ。 たとえば、誰かの何かの言動でモヤモヤしたとき、「苛立った!」で終えるのではなく、「この苛立ち、いやモヤモヤは何なんだろう?」といちいち考える。もちろんちょっと考えただけではわからないから、あらゆる方向からその苛立ちをしつこく覗き込む(笑)。どういうことかというと、「体の感覚的には頭にきているというより、肩がこわばるように感じるな」とか、「この人でなく違う人が同じ言動をしたら私はモヤモヤしただろうか?」とか、「このモヤモヤはモヤモヤという以外の言葉にするなら何がしっくりくるだろうか」とか、わりとしつこく追求する。 そういうことをしていると、ある瞬間に、脳のネットワークの何かと何かがつながって、「あ、このモヤモヤは悲しみか!」などとピンッ!とくるときがある。日本語では気づき、とよく言われるし、英語ではAha! Momentとも言われたりする(ただ、Aha! Momentを訳すなら気づきというより、納得がいく、合点がいく、という感じで、その使われ方をすることも多い)。 で、私にとっては、この気づきこそが、カタルシス。やめられないのだ。 ただ、これにはマイナス面があることも自覚的ではある。 たとえば、(これはあまりいい例ではないが)自分が食べたい食べ物の味のイメージがぼんやりあったとして、「なんか、ソースな感じで、衣が絡んでいて、ご飯の味もあって…あ、これはカツ丼だな!」と決めてしまうようなことが起こる。 これの何がマイナスかというと、もし、自分の食べたい味にカツ丼というラベルを与えなければ、ご飯に天かすをぶっかけてソースで食べるという方法を思いつくなど、オリジナルというかクリエイティブに新しいことを生み出せた可能性があったかもしれないということ。 つまり、ピン!と言語化できるということは、単に自分の知っている何かと結びつくだけに過ぎないのだ。でも、早々に自分の知っているものごと、この場合は「カツ丼」というふうに決めてしまうと、自分のこれまでにはない新しい何かを生み出せたかもしれないチャンスを逃すことになりかねない。 いや、マイナスって書いたけれど、もちろん本来はどちらがプラスかマイナスかではない。この場合のプラスマイナスは状況によっても変わるし、自分が求めているものが何かによっても変わる。だから、どちらが良い・悪いではなくて、ものごとというのはそういう性質があるねっていう意識を持っておけばいいんだと思う。 で、まあ、考察のようなものをずらずらと書いてきたけれど、本題は、フリーランスになった自分の肩書きについて、ピッタリくるものが見つかってスッキリしている、ということを書きたかったのでした(ここからお知らせの気持ちが強まるので、急にですます調です 笑)。 いやね。「ライター」って言われるとちょっとピンとこなくなってきていたんですよ。 だって、ラジオ音声の編集したり、YouTubeの動画撮影・編集したり、 特定の活動や団体のSNS投稿を請け負ったりもしているし。 もちろん、書くことがメインだけど、それも自分発信というより、自分が心の底から共感している企業なり組織なりの伝えたいことを、どのように発信すればいいかというスタンスで書いていて、それがこの先、自分のメインストリームの仕事になっていくと感じています。でも、そういう仕事の仕方って、自分が思う(そして以前やってきた)ライターではないんですよ。 でね。おそらく業界の人なら、私がやっていることは「ライター」っていうより「コピーライター」の仕事の領域だよねって、わかってくれると思います。でも、一般の人はコピーライターっていうと広告の文案を書くってイメージするだろうから、フリーランスになってコピーライターをやっています、と言ってしまうとそれはそれで自分が目指したい方向性と乖離していて誤解を招きそうだなと、密かに悶々としておりました。 ところが、最近は「Contents Writer /コンテンツライター」っていう肩書きがあるんですね。それを知って、コンテンツライターというのが私の「知っていること」になったおかげで、これまでずっとモヤモヤしたものとつながったわけです。私がやっているのはこれじゃん!と。正確にいえば私がやるのは書くことだけじゃないから、コンテンツライター/クリエイターになるんでしょうけど。でもまあ、メインは書くことであることは変わらないのでコンテンツライターが一番しっくりきます。 先ほど、決めつけてしまうことのプラスマイナスについて触れましたが、今回、少なくとも今の私についていえば、スッキリと言語にできたことで、「もうちょっと勉強しておきたいスキル」や「そこは頑張りすぎなくていいかなと思う領域」が明確になってほっとしているので、その点ではプラス、と思っています。 が、コンテンツライターとして仕事をやっているうちに、他にやりたいことがどんどん出てくる可能性はありますし、自分が思うコンテンツライターの域を出た仕事の依頼をいただく可能性もあります。その時、この肩書きにこだわっていると、「それは私の仕事ではない」と考えるまもなくシャットアウトしてしまい、自分の人生をもっと面白く拡大できるかもしれない可能性を狭めてしまうこともあるから、決めたはいいけどこだわらない、というのが私の目指したいところであります。 いやー、しかし、スッキリしましたわ!

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5月の振り返り

5月は忙しかった。でも、心をなくす忙しさではなく、心が常にフル、みたいな忙しさで、充実感に満ちていた。 会社を辞めて半年、つくづく実感するのは、いつのまにか会社のパラダイムが自分のパラダイムになっていたこと、そしてそれに気づいていなかったこと、だ。 もちろん会社のパラダイムが悪いわけではなく、会社の仕事は楽しかったし、仲間も好きだ。ただ、自分の物事の見方、物事を見るときの枠組みが、気をつけていたつもりでも、ずいぶんと会社のそれに固定されていたんだなぁという気づきがあったというだけ。 これは、この先、フリーランスに慣れた場合にも起こりうる。似たような仕事、考え、生活スタイルの人が集まることが続くとそのグループのパラダイムが世の中の当たり前と感じてしまう。そのことにより自覚的になって、いろんな仕事、考え、生活スタイルの人と意識的に会うということを続けていきたい。 あと、学びたいことがいろいろ出てきているのだが、どうやら3つくらいに絞れそうである。これらについて、今年後半から来年にかけてチャレンジしたいと思っているが、まあこれはお金と時間の捻出との兼ね合い次第で変更も可というくらいの曖昧な予定としておきたい。 実は私は日本にいた2008年から2010年にかけて、アロマやハーブを使った療法、植物療法の勉強をして、資格も取ったことがある。そのときは出版・広告業からそっちの方へとキャリアチェンジする気満々だったのだが、まあ、いろいろあって、出版・広告業に戻ったという経緯がある。 最近、いろいろ学びたくなってきているのは、いずれもウェルネス系で、植物療法を学んだときのことをよく思い出す。あの頃、大枚叩いて、数年かけて学んだのに、結局、それは今、あまり仕事(収入)とは関係していない。じゃあ後悔しているかと言ったらそんなことは全くなくて、今もつながっている友達と出会えたし、学んだことは今の私の日々の生活に根付いていて、こんにちの私を形作る大事な一部になっている。 そんなわけで、学ぶからには仕事につながったほうがいいというのもまた一つのパラダイムでしかないなって思えるようになっているので、学ぶことが何につながるのか今は見えなかったとしても心の声を信じて進もうと思っている。

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最近の書き物

動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の 【10】【11】がアップデートされています。 【11】「自分の感性・価値観を行動に移す(2)」こちら 何かをやりたいと思ったとき、それを行動に移すときに、いくつかハードルがあると思うのですが、それらのハードルの一つについての考察です。 【12】「自己肯定感とは何か」こちら 自己肯定感は、私個人もとてもよく使う言葉で、かつてはこれが著しく低かったんだなぁと自覚していますが、自己肯定感って何かということを突き詰めたことはなくて、だいぶざっくりと捉えていました。この投稿では、動作学らしく、大きな全体像から、自己肯定感を捉え直していく試みをしています。 つくづく、動作学は、「そもそも論」のところなんだよなぁと実感します。物事を見るときの前提。どの前提が正しいということはないのですが、そもそも私たちが物事を見るときには知らずのうちに私たちがこれまでの人生で身につけた前提を通して見ている、つまりバイアスが絶対にあるってことを自覚し、違う前提で見てみたらどうなんだろうとトライしてみることは、大袈裟でなく人生を大きく変えるだろうなと思っています(自分がそうであったように)。 さて、もう一つ、ウェブマガジン「Stay Salty」の最新号でもエッセイを寄稿しています。 「体験しよう、旅しよう」こちら おかげさまで充実感に満ちた日々です。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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寝ても覚めても動作学(笑)

だいたい月末に発生する恒例(?)の振り返り。 note.comのマガジン「動作学というレンズを通して」を公開し始めたのは2022年に入ってからだが、連載10回が過ぎた今、当初思っていたより大きな反響をいただいていていて、そのことがとても嬉しい。 今日はその結果としての最近の私の変化について。 noteのマガジンのおかげで、「これ、動作学的にはどう判断すればいいの?」と、ライターである私が質問を受ける機会がものすごく増えた。 もちろん、私は動作学を学んでいるだけの身なので、「動作学ではこうだよ」と偉そうに何かを教えるということはない(できない)のだが、「私なら動作学で学んでいることをベースにして、こう考えてこうする」という内容なら伝えることはできる。 ただ、残念であり面白くもあるのは、動作学的には、ほとんど全ての場合において、「その時の、その状況に身を置いたときの自分の感覚を感じる→行動する」というのが私の答えになる(聞かれ方、質問の趣旨によってはこの限りではないけれど)ことだ。なので、たくさんいただく質問に対する回答も、その考え方を伝えた上で、「だから、その状況に身を置いてみないことには私ならどうするかはわからない」となってしまう。 これ、裏を返すと、「なので、あなたもあなたがその状況で感じたことを実行すればいい」でもある。 質問してくださった方は肩透かしを喰らったように感じるだろうな、とは思うのだけど、私はその質問を受けたというその時の状況で私がこう回答したいと感じたことを伝えるのが最善であると、これまた動作学的にそう考えているので、その回答を出した後、その次に起きる出来事(たとえば質問してくれた人の反応など)は気にしないというか、「こうあってほしい」という期待はほとんどないまま行動ができる。 そういった最近の自分の変化を振り返って、「っていうか、これ、『引き寄せの法則ーエイブラハムとの対話』や『神との対話』シリーズでエイブラハムなり神と名乗るものだったりがずっと言ってることじゃん」とも気づいた。 動作学に傾倒したことで、結果的に、あの時、スピリチュアルに学んだことを、実践できているようになった自分がいる、と。 結果を期待しないから行動しやすくなったし、何より、行動というのは自分が何をどう感じているかを自分自身や人に対して表現(表明)することだと捉えるようになったから、自分の感覚に基づいて行動するということへの恐れが激減した。 それぞれの人が自分を通してしか世界を見られない。だから、世界を純粋に見るためには自分のエゴとやらを消さねばならないと昔の私は長いこと思っていた。自分の感じることはエゴなのではないか、と。いや、そうはっきり自覚があったわけじゃないけれど、以前の私が目指していたのは世界を純粋に見るために自分の感じることを否定することだったので、ときどき苦しくなったんだろうなと分析している。 今は、自分も、その世界を構成する大切な一粒だから(たとえ小さかったとしてもその一部があるのとないのとでは世界は違ってくるから)、自分というものを消そうとしながら世界を見ることは、もうその時点で純粋に世界を見ていることにはならなくなる、と考えるようになった。私という世界の構成部員を消して見たら、私のいる世界を見ていることにはならなくなってしまう、と。 あわわわわ、哲学的になってしまった…兎にも角にも、「私は私を通して世界を見ている」ということを自覚すると、他の人がその人を通して世界を見ていることも尊重できるし、互いに尊重しあった上で、それぞれの見ている世界を語る(アウトプットする)、そのアウトプットをそれそれがインプットしてまたそれぞれのアウトプットが変わる、その繰り返しで世界が良くなっていけばいいのだと考えるようになり、自分の考えを人前でだいぶ語れるようになったことが自分なりの進化。 以前は、正解を語らないと、とか、正解じゃないって突っ込まれた時に答えられるように理論武装しておかないと、とか、そういうので忙しくて、そんなのできないから、じゃあ語らない、となっていたんだなってこともわかる。 だから議論の場が嫌いだったし、討論的な報道番組を見るのも苦手だったけど、今はむしろ好きになっている自分に自分が驚くわ。なんなら可能な限りの多くの視点&意見をインプットしたいと思うようにさえなっていて、それを意図したわけじゃないけれどこれまでの過程で結果的に英語の情報ソースをインプットできる自分になっているということにも神の采配というか、世界のシステムの完璧さを感じて陶酔しそう。 ともあれ、そんなこんなでますます動作学にハマる2022年春。 動作学にハマっているのは私だけでないので、おそらくそう遠くない未来に他の方の著作としても動作学の名前を目にすることになるのではと思います。その時代時代に注目のキーワードというのがあると思うけれど、動作学はこれから数年の間の注目キーワードの大穴であると、個人的には思っております。当たらなくてもいいんですけど。

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動作学マガジン【08】【09】アップしています

おかげさまで忙しく過ごしていて、お知らせをすっかり失念していました。noteで連載しているマガジン「動作学というレンズを通して」の08、09、アップされています。 【08】自分の価値観に従って生きる 【09】自分の感性を信じる ところで、最近、ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』(1995)と、そのシリーズを再び読み始めました。 以前読んだはずなのだけど、以前はきっとほとんど理解できていなかったんじゃないかと思うほど、内容を覚えていませんでした。同じことが『奇跡のコース』にも言えそうです。読んだはずだけど、今、内容を思い出せと言われたらまったく出てきません(苦笑)。ちなみに、エイブラハムの引き寄せ関連はアメリカの本棚にあって何度も読んだので、それについては内容をかなり覚えていると自信を持っています。 話がそれましたが、『神の対話』。そのようにほとんど覚えていないにもかかわらず、今回、まるでこれまで自分が考えて頑張って実践してきたことの答え合わせをしているような気持ちで再読しています。 今、考えて実践していることはそれで良いのだと後押しをしてもらえるような感覚というか。読書に限りませんが、そういう経験って、皆さんも多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか。 もう一つ、読んだことはあるのだけど内容が思い出せない、というか、そもそも理解も難しかったものに、アリス・ベイリーの秘教関連の本があります。ほとんどの本を日本に置いてきたけれど、アリス・ベイリーの秘境関連は持っているものは全てアメリカに持ってきています。再読する時がくるかな? その時には、今回の『神との対話』のように、答え合わせをするように読めたら最高ですけど、そうなるのは今生ではないような気もする(笑)。 そのくらい秘教の本は難しいわけですが、同じ理由で、この秘教シリーズが一番奥深そうだとも感じています。 ただ、今、現時点では、私は、より多くの人に伝わるように平易な言葉にしたい、つまり私が理解できていることを伝えたい、という欲求が強くて、だから動作学という言葉で伝えているし、動作学の言葉で伝えたいんだろうなぁ(自分は)、とものすごく納得もしているのでした。

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動作学note 「【06】自分を満たすとはどういうことか」をアップしました

動作学noteマガジン「動作学というレンズを通して」の 06をアップしました。トピックは自分を満たすとはどういうことか、です(記事はこちら)。 私はこの「自分を満たす」の方法を長らく間違えていたんだなぁ。 ところで、もはや25年以上(!)にもなったライター&コピライターとしてのキャリアの中で、私がこのように自分の手がけたものを「見て!読んで!」と皆さんにお伝えできるようになったのは2014年にアメリカに来て以降です。 それまでの私は、さまざまな仕事を、「これは本当に私がやりたいことではない」と感じながら取り組んできていました。ライターの仕事なら編集者の意に沿うことを第一に、コピーライターの仕事ならクリエイティブディレクターや広告主の希望に応えることを第一にしているうちに、自分が消えてしまって、結果、どの仕事も、完成した時に、「これは自分がやった!」と自信を持って言えるものにはならなかったんです。 でも、それって、逃げていただけだ、と気づきました。忘れもしない2013年。前夫が亡くなった後、傷心で訪れたカリフォルニアはシャスタで、その気づきは訪れました。 逃げていたという表現はやや自虐的ですが、つまりは自己防衛だったと気づいたんです。 「これは本当に自分がやりたいことではない」ということをやっていれば、やったことがどんなに批判されても、評価されなくても、私のせいではないと思えます。だって、私は誰かのやりたいことを形にしただけなんだから。 私は、そのくらい、自己肯定感が低かったんです。自分の存在そのものが肯定できていないから、何かをやることで評価を得ようとしていたんですね。 その場合、「私のやること」=「私自身」になってしまっているから、私のやった仕事を否定されることは私の存在を否定されることに等しいわけです。そうなったらとても立ち直れないほど怖いから、「私がやりたいことじゃない」ということをやることによって、批判されても、「私じゃないし」と言えるようなことばかりしていたわけです。 いやはや、これに気づいた時の虚無感ったらなかったですよ。今までの人生、全部が自分じゃなかったんじゃないか…一体今まで何をしていたんだ…と。 亡くなった前夫は、自身がした仕事を皆によく宣伝していたけれど、あれは、彼が自分の仕事だと思って本気で取り組んでいたからなのだなということにも気づきました。この先の人生、前夫のように生きたい、彼のような仕事をしたい、と思いました。 と、そこまではシャスタで思えたことなのですが、では、何がしたいのか、自分が本気で取り組めることってなんなのか、ちっともわからず、私は途方に暮れました。その時、シャスタを案内してくれていた友が、芋虫が蝶になる時に蛹になるが、蛹の中で芋虫は姿形なくなるくらいに溶けるのだと教えてくれました。それが「変容」だと。今までの自分の価値観が全部壊れてしまって、自分だと思っていたものがなくなってしまった今はきっとあなたは蛹になったんだ、と。 あれから9年(!)。蛹が蝶になったというか、したいことを見つけて、本気で取り組めている、そのことが、ただただ本当に嬉しいです。嬉しいがあまり、同じことを何度も書いてしまっていますが、明るい方をめざして、光を見つけて、開いていった数々の扉の中で、最後の最後、ここさえわかっていたらもう路頭に迷わないだろうというくらいの光の扉であったのが私にとっての動作学で、みんながみんなそうではないことはわかっているけれども、私と同じような誰かに届くといいなと心から願っており、それゆえにまたしつこくお知らせすると思います。

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最近のこと

3月も終わりに近づいたので今月も振り返り。というか、頭の中に無秩序に放り入れておいた物事を整理したくなる周期が、たまたま毎月末にあたる、という感じですが。 風水かな? 新しい物事が入ってくるためにはスペースが必要で、逆にいえばスペースを作らないと新しい物事は入ってこないという考えはわりと多くの人に認知されていると思います。私はといえば、フリーになってからというもの、それをすごく体感する日々です。 会社は完全には退社しておらず、責任ある役職は退職させてもらい、パートタイマー扱いにしてもらうことで仕事の負荷を1/4にしてもらったのですが、その空いた3/4を埋める、どころか、それ以上のボリュームで、やること、やりたいことがどんどん流れ込んできていて、いやはや、なんだこれ、楽しすぎるぞ、ということになっています。 動作学については、noteのマガジンが実際に動き出しているほか、ウェブサイトも作成中で、これらは大きなピクチャーのほんのはじまりにすぎないけれど、でも実際に形になりだした唯一のプロジェクト。 一方で、その他のプロジェクトは、まだもやもやとしたアイデアの中で、どう具現化していくか、という段階にあって、頭が楽しく忙しくて、いい意味でカオス。 これらまだアイデアの段階のものは、そもそもどうやったら形にできるか、も考えていかねばならないので、具現化するのにはものすごくパワーを要します。つまり、気力、体力、時間もいるってことで、これ、会社員で責任ある役職にいたら、その余裕まったくなかったろうから、やっぱりスペースを空けるってことが、新しいことをやりたいときには必要だったんだなぁとしみじみ実感しているわけです。 そのうえ、さらにちょっと先の未来を見越して、学びたいことまで出てきてしまった! アイデア段階のものは、すぐには収入には直結しないですし、学ぶことにはお金が(時間も)かかるので、今の忙しさの中で、どうバランスを取って実行していくかが課題です(そこまでパンパンなのは、遊びも、睡眠時間もほしいぶんだけ確保しているからでもあるのですが、そこは自身のメンタルヘルスのためにも譲れないので)。 とてもありがたいことに、夫は会社員で安定した収入があって、今、私は、毎月、家計に入れると約束した額だけを共同の口座に入れることさえできていればいいという状況にあり、この恵まれた環境にあるうちに、会社以外の個人の仕事で十二分に自分の生活を回していけるようになりたいとは思っています。そういう意味では、この1年、2年は自己投資という感じかなぁ。 とかなんとか書いているうちに頭が重たくなって、何も考えたくなくなってきたので、やっぱりちょっと頭を使うことを詰め込みすぎているんでしょう。自分の心身ときちんと連絡取り合ってみんながハッピーであるような連携を取るってことも課題だなぁ。

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動作学マガジン04、05アップ

note.comで掲載している動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の05と06がアップされています。 【04】「自分が変わると人生が変わる」の仕組み【05】「自分が変わると相手も変わる」の仕組み どちらも概念としては「もう知ってるよー」というようなことと思いますが、その概念を実際の人生で、生活の中でちゃんと実践できているか、というのがポイントなんじゃないかなって感じています。 私の場合は、「個人×環境」の個人のほう、つまり自分に矢印を向けることはわりと得意だったけれども、反対に、環境のほうは軽視しがちで、全部自分で責任をしょいこむ傾向にあったんだなと、動作学を学ぶなかで気づいて、生きるのが相当楽になったし、実際に物事がうまく回ることが増えた気がしています(物事をうまく回すことが動作学のめざしたいものではないですが)。 「動作学というレンズを通して」は日本時間の月曜日の朝に更新しますので、もしよかったらフォロー&スキ、してもらえると励みになります。最近はフォローだけするようのゲストアカウントというのもあるようです。あと、スキはnoteのアカウントがなくてもクリックできます! さて、その他の近況報告としては、滝口いず美ちゃんのYouTubeチャンネル制作が動き出しています。心と体のつながり、とりわけ女性の体から心を見ていく、整えていくことのスペシャリスト、いず美ちゃんのお話は本当に面白いし、何より愛にあふれているその存在そのものが素敵なんですよね。そんないず美ちゃんの魅力をきちんと引き出し、多くの人に伝わる動画にできるのか? 考え出すほどにチャレンジング(そもそも動画編集はベーシックなことしかやったことない笑)ですが、「なんかしらんけどやりたい!」のワクワクと情熱に突き動かされています。 あと、個人的なところでいうと、ちゃんと学びたいことが新たに見えてきて、それをどこで学ぶか、学ぶ時間をどう確保するかが、最近の興味関心ごとです。 いやはや、1日が24時間では足りない、って、この年齢になって初めて本気で思うようになりました(笑)。 若いうちからそのくらいの勢いで活動していたら、今もうちょっといろんなことができていたんじゃないかなぁと、過去の怠惰な自分を責めたくなりますが、あの頃はあの頃で生き延びることに必死だったからしょうがないなとも思います。よく言われるけれど、これからの人生の中では今が一番若いんだから、少なくとも今、活動的であれることに感謝して、がつがつ貪欲にいくぜ、と考えている最近です。

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