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SNSの使い方が変わってきた
Posted on May 27, 2023 Leave a Comment
最近、SNSが楽しくなってきました(ようやく)。 私は特にInstagramが好きなのですが、これまでは使い方がいまいち定まらないというか、しっくりこなかったんです。 私の場合は、ですが、Facebookは好きか嫌いかは別として違和感なく使えていました。 というのも、面識のある人たちとだけ「友達」になっているので、近況報告とか、こんな活動をしています、というのを伝える場と捉えればしっくりきていたからです。 一方、Instagramは面識のない人たちもフォローしてくれていて、その多くは初期の頃に私がサーフィンの投稿をよくしていたからフォローしてくれたのだと認識していました。 それでしばらくサーフィンの投稿をたくさんしていたのですが、だんだんサーフィンだけが私の情熱ではなくなってきて、サーフィンの投稿だけすることがつまらなくなってきてしまったんですね(あくまで私が投稿するという意味で。人のサーフィンの投稿を見るのは大好きです)。 それで自分の日々のことや思っていることなどを投稿するように、特に今年から意識的に変えたのですが、それでもなんかしっくりこなかったんです。Facebookと違って、知り合いばかりじゃないから、これでいいのかなって。私が何をして何を考えているかとかどうでもいいんじゃないかなと。 それで、やっぱり何か役に立つ発信をした方がいいよな? 何かに特化したアカウントにした方がフォローやエンゲージの率は上がるんじゃないか? なんて、マーケティングのセオリーをもう一度見直して、「じゃあ、何に特化すればいいかな?」と考えたりもするんですが、それもそれでときめかない… でも、最近になって急にふと肩の力が抜けました。 Instagramは私がどんな人ですっていうのを表明する場だって、自分の中で定まったんですね。 立派なこと言わなくていいし、サーフィンばかりでなくてもいい。 ただ、どんなことに興味があって、どんなことをやっているか、そういうのを見せる場。 それが何になるの?というのが常に「Doing Doing Doing」の思考を持つ私から出てくる最初の疑問なんですけど、「それで自分と趣味趣向が合うなって思う人と繋がれたらそれでいいんじゃん」って思えるようになったのです。 私はフリーランスで仕事をしていますから、私が何者であるか(どんなことに興味を持ち、どんな価値観を持って生きているか)を見せることで、そんな私と何か一緒にしたいという人とつながれるじゃないですか。 逆にいうと、自分が何者であるかを見せなければ、本当につながりたい人たちとつながれないじゃん、ってようやく思えたのです。 一昔前なら、いやいやSNSでつながりを増やすよりリアルで頑張れよってつっこみそうですけど、リアルで頑張るのに加えてSNSでも頑張ったらその可能性の大きさたるや! そんなふうに肩の力が抜けたのは、私は何者にならなくてもいいってことを、ようやく体で納得できたからではないかとも感じています。 それについて動作学のマガジン「動作学というレンズを通して」の最新回で書きましたので、よろしければご覧ください。 ◉制限をなくして行動したら、その奥にあった信念を手放せた アメリカはメモリアルデーの連休。この連休が来ると、いよいよ本格的に夏が始まると感じます!
子ども、子育てに関連する個人的変化とともに
Posted on May 16, 2023 Leave a Comment
執筆させてもらっている動作学マガジン「動作学というレンズを通して」と、制作させてもらっているYouTube「滝口いず美のSpirit of a Woman」、それぞれ最新版は奇しくも子育てについてのトピックになりました。この投稿の最後にリンクを貼っておくので、よろしければぜひご覧ください。 さて、しばし、私の話。 私は子どもがいないので、子育てについては、我関せず、みたいな気持ちでずーっといました。 でも、何年前かな? ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』シリーズを読み返したとき、心に引っかかった文章があったんです。 正確には忘れてしまったのですが、「今の先進国は、子どもを産んだのは親の責任だから、親が責任持って育てよ、というスタンスの社会だ。でも、本来、子どもというのは社会全体で育てるものなのだ」という趣旨。 認めるのは恥ずかしいですが、その時、私は、気づいたんです。確かに、そう思っている節が自分にはあるぞ、と。 子育て中のお母さんがその大変さを訴えると、「それは大変だなぁ」とは思うのですが、どこかで「でも、その人生を自分で選んだんだよね(私には関係ない)」って心の中で思って、境界線を引いていたんです。私は子育てのことはわからないからお母さんの気持ちもわからないし、わからない人が何を言っても相手にされないだろうし、と。でも、今思うと、そもそもわかろうとする気がたぶんなかったんです。だって違う人生だって思っているから。 もちろん、親しい友人には子どもを育てている人が何人もいるのだけど、私は海外に出てしまったこともあって、友人たちの子どもと接する機会がそんなにないので、彼女たちがお母さんになっているという感覚が希薄なままでした。 ところが、前述の『神との対話』で子どもについて書かれた一文を読んで、私の中の何かがちょっとだけ変わりました。 面白いことに、そうしたら、それ以降、不思議と、友人の子どもたちとの距離がグッと近づきました。そして、子どもを育てている皆さんへのリスペクトの気持ちがグッと増しました。 だからって、「子どもが欲しかったなぁ」という気持ちには別にならないのですが(それだけ今が幸せなんだと思う)、子どもって人類社会の宝というか、未来の塊であり、可能性の塊であるから、どの子も自分と全く無関係じゃないんだって、もうちょっと高い視座から子どもという存在を見ることができるようになって、子どもがいない自分にもできることはあるし、子どもがいないからこそできることもあるだろうなぁと思うようになったんですね。 今、週一ペースで友人の家でIntegrated Healingの交換セッションをしているのですが、セッション後に時間があれば、子どもたちのお迎えに一緒に行って、ともにゲームをして遊んだりします。 たったそれだけのことだけど、毎日子どもたちのエネルギーを一人で受け止めている友人は、週に一度、私という緩和剤がいてくれるだけでものすごく助かる、と言います。へぇー、と私はびっくり。そんなのお安い御用だよ。 そんなわけで、かつての自分を考えると、自分が子育てというトピックに関心を持つようになり、そのトピックのコンテンツを作るようになっていることがすごく興味深いのです。とはいえ、動作学マガジンでも、Spirit of a Womanでもメインの話者は、私ではなく、子育てをしている親なので、ご安心ください。 人類の未来を育てている全ての親御さんにリスペクトを込めて。 ◉動作学マガジン「動作学というレンズを通して」最新「どういう世界で子育てをしたい?」 ◉YouTube「滝口いず美のSpirit of a Woman」最新「母親の感情は子どもには関係ない!?」
私は私であることに価値がある
Posted on May 15, 2023 Leave a Comment
こちらのサイトで近況を投稿させてもらうのはだいぶ久しぶりになります。 具体的に調べたら3ヶ月ぶりでした。 Integrated Healingのプラクティショナーとなり、ヨガのティーチャートレーニングを受け始めた段階で、書く仕事(コンテンツメイキング)と、IHやヨガ、終末期ドゥーラといったジャンルを明確にわけることにして、ヒーリング系のことは全てEarth’n Usという別のサイトに集約していたのですが、自分の中で違和感が大きくなって、そちらのサイトは今、休止しています。 仕事を頼む方の立場から見たら、「私は何者か」がクリアに見えた方がいいなって思って、ライターならライターのキャリアが際立つように、そして、IHやヨガならそれらについてちゃんと専門知識があるとわかるように、サイトを作り分けていたのです。 それがなんで違和感になっていったかというと、私は「自分にはこれだけのキャリアがある」「自分にはこれだけの知識がある」という条件で人にアピールしようとしていたからだって気づきました。 私は私であることに価値がある、のにね。 というより、自分が自分であることに価値があるという世界を私は生きたいのです。それは、あなたはあなたであることで価値がある世界と同じです。 そんな素晴らしい世界をどうやって作るんだって思っちゃいそうですけど、まずは私がその世界を選択しなくちゃ始まらないんですね。超スピリチャルな感じですけど、脳の働きからいってそうなのです。 だとすると、「私はこれができるからあなたに価値を提供できます」と自分が条件付きで価値を提供しているうちは、条件なしで愛し愛される世界にはいられてないってことじゃん、ってようやく合点がいきました。 そうしたら、自分のアピールポイントによってサイトを作りわけなくていいなって感じるようになりました。私が私であることが伝わればいいだけなら、いろんな場所でいろんな顔を作らなくていいじゃん、って。 私にとっては、書くことも、ヒーリングをすることも、ヨガを教えることも、「世界は愛で、しかも、それはあなたの選択なのだ」って伝える手段という点で同じなんです。 つまり、私は、誰もが愛の中を生きている(生きられる)ことを選べると気づき、行動するきっかけを提供したいだけ。 そこまでは前から頭の整理ができていたんですけど、いかんせん、どちらも(書く方もヒーリングの方も)中途半端で自信がなかったから、それぞれ分けることで、それぞれの専門性が高いように見せたかったんだと思います。 でも、もう、そういうの、やーめた。 このサイトは私のHomeなので、こんなふうに仕事における心境やスタンスの変化があったときに、また書かせてもらうと思います。 Integrated Healingやヨガ、終末期のドゥーラに関しても、何か本格的に動き始めることがあれば、ぜひこちらでお知らせさせてください。 日々の気づきやコラムなど日常のブログは、これまで同様、noteの方で書いていますので、noteのアカウントをフォローしていただけたら嬉しいです。
動くと見えてくるもので
Posted on February 15, 2023 Leave a Comment
いろんなところでいろんなことを書き殴っていますが、こちらのサイトでの投稿は久しぶりです。何度か書いていますが、ここは「皆さんにこれを伝えたい!」というような明確な意図がないけれど書きたい時、すなわち、自分の気持ちの整理のために近しいお友達とお話しするような感覚で書かせてもらっています。 さて、終末期のドゥーラ(End of Life Doula)の資格取得に向けた勉強がそろそろ終わりに近づいているのですが、そのタイミングで、ヨガのティーチャートレーニングをついにスタートさせて、毎日が新しい学びでいっぱい。刺激的です。
End of Life Doulaの勉強を始めました
Posted on December 20, 2022 Leave a Comment
Integrated Healingを習い終えて1週間。次に学びたいことであったEnd of Life Doulaの資格認定コースの勉強が始まりました。 本当はヨガのティーチャートレーニングを先に受けたかったのですが、ずっとチェックしていたEnd of Life Doulaのオンラインコースがホリデーセールで、めちゃくちゃ安くなっていたので(笑)、予定変更です。勉強の費用に対してホリデーセールってなんだか軽くて笑ってしまったのですが、もともと気になってチェクしていたコースだったので、これはお導きだと(笑)判断して、早速スタートしたわけです。
Integrated Healing講習会を終えて
Posted on December 12, 2022 Leave a Comment
14日にわたるIntegrated Healing(IH/インテグレイティッド・ヒーリング)の講習会を修了しました。 一言で言うと、オセロのゲームで、一つ残っているコマがあることはわかっているのに、どうしてもどうしてもひっくり返すことができていなかったそこを、ついにひっくり返すことができた、という感じです。 なんだ、それは。
気づいちゃったかもしれない
Posted on November 26, 2022 Leave a Comment
一年半待ちに待ったIntegrated Healing(IH)の講習会が来週から始まります。2週間にわたる長丁場です。 Integrated Healingの講習はモジュール1〜4まであって、今回、私が受けるのは1〜3まで。2までを終了したら、IHのプラクティショナーになることができるのですが、最初からプラクティショナーになることを目指して受講する人は実は意外と少なくて、私のように「これはなんか面白いからもっと知りたい!」という動機で受ける人がわりと多いようです。講習では、ヒーリングのテクニックを習うわけですが、実際には習っている自分達自身に深い気づきと癒しが訪れるので、講習会ではありますが、受講者にとってのヒーリングリトリートみたいな、そんな時間になると、先輩受講者たちから聞いています。
10月の振り返りと最近、手放したもの
Posted on November 7, 2022 Leave a Comment
お久しぶりです。相変わらず忙しくしていました。その間にまた風邪を引いたりもしていました(コロナ検査は陰性でした)。しかし、自分を振り返る機会を設けられた素晴らしい1ヶ月でもありました。
やっぱり忙しくなってる
Posted on October 12, 2022 Leave a Comment
忙しすぎてこちらでのお知らせが追いついていないのですが、私がレギュラーで携わらせているものは変わらずアップデートされています。
最近の変化
Posted on September 30, 2022 Leave a Comment
滝口いず美ちゃんのSpirit of a WomanのYouTubeチャンネルを始めてからというもの、私にどんどん変化が起きています(笑)。 昨日は、夕方、見上げた空が美しくて。 見た瞬間、いろんな感情?感覚?思い?が自分の中を去来しました。 ここで、いつもの私なら、その感情や感覚は言葉にすると何なのか?とか、なぜこれを見たことでその感情や感覚が出てきたのか?とか、ついつい考えるのに、昨日はしなかったんですね。