Spirit of a WomanのYouTubeチャンネル開設

滝口いず美ちゃんが発起人であり代表であるプロジェクト、Spirit of a WomanのYouTubeチャンネルがついにスタートしました!

僭越ながら、Spirit of a Womanの運営スタッフの一人として、YouTube動画の撮影と編集、そしてInstagramアカウントの運営をやらせていただいています。

YouTubeチャンネルはこちら
Instagramアカウントはちら

いず美ちゃんと初めて出会ったのは、ずいぶん前、共通の友達のベビーシャワーでした。その時は、ほとんど話す機会はなく、夫と私が先においとますることになった時に、主催者が「あ、まだ紹介していなかったね、こちら、Integrated Healingのいず美ちゃん」という感じで、さらっと紹介してくれて、挨拶を交わしただけでした。

ただ、それだけでも私にはなぜかすごくインパクトがあって、この人にはいつかインタビューをするか、何かしらでもっとお話を聞きたいと強く思っていました(が、いず美ちゃんの方はこの時の私の記憶はないらしい笑)。

それが叶ったのは数年後。

2021年の夏に、私は雑誌のインタビューで、いず美ちゃんと再会します(いず美ちゃん側にしたら「初めまして」ですが笑)。その時のインタビューはIntegrated Healing LAを紹介するシリーズもので、半年くらい皆さんとやりやりとりをさせてもらったのですが、その過程で、私は彼女と、Integrated Healing LAのプラクティショナーの皆さんが放っているオープンハートな雰囲気に心惹かれ、その年の年末に開催されたIntegrated Healing講習会の基礎講座を受講したのでした。

YouTubeの話が出たのはその後。私は雑誌編集はやってきましたが、動画編集は全くの素人で、iMovieを数度いじったことがあるだけだったにも関わらず、「やる!やりたい!」と答えていました。

そんなふうになんだかトントンと話が進んだので頭が追いつくのがしばらく後だったのですが、実際にプロジェクトが動き出して頭が追いついてくるにつれ、ここに関われていることは本当に光栄だという思いが深まってきています。

これ(滝口いず美のSpirit of a Woman)を広めることは、世界の多くの女性を救うことだって、心底思うのです。

何より、私自身が、彼女との撮影やMTGを通して、気付かされたり、癒されたりしているのですよ。癒されるっていうのは、彼女のパワーで私が癒されるというのではなくて、自分が本来持つパワーをどんどん取り戻している、そんな癒し。そして、同じことがきっと多くの女性に起こるだろうって感じています。

Sprit of a WomanのYouTube動画は週1ペースでアップしていく予定です。

ぜひお時間ある時にご覧ください。そして、何か響くものがあればチャンネル登録してもらえたら嬉しいです。

長文、お読みくださり、ありがとうございました!

自己肯定感を高める方法

noteで連載している動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の最新記事をアップしました。

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ぼんやりさせておく vs はっきりさせておく

唐突だが、私は、自分の意識の中にぼんやりとあるものごと、つまり一言で言うと目に見えないことや形のないものについて、スパッ!と形容する言葉を見つけることが好きだ。

たとえば、誰かの何かの言動でモヤモヤしたとき、「苛立った!」で終えるのではなく、「この苛立ち、いやモヤモヤは何なんだろう?」といちいち考える。もちろんちょっと考えただけではわからないから、あらゆる方向からその苛立ちをしつこく覗き込む(笑)。どういうことかというと、「体の感覚的には頭にきているというより、肩がこわばるように感じるな」とか、「この人でなく違う人が同じ言動をしたら私はモヤモヤしただろうか?」とか、「このモヤモヤはモヤモヤという以外の言葉にするなら何がしっくりくるだろうか」とか、わりとしつこく追求する。

そういうことをしていると、ある瞬間に、脳のネットワークの何かと何かがつながって、「あ、このモヤモヤは悲しみか!」などとピンッ!とくるときがある。日本語では気づき、とよく言われるし、英語ではAha! Momentとも言われたりする(ただ、Aha! Momentを訳すなら気づきというより、納得がいく、合点がいく、という感じで、その使われ方をすることも多い)。

で、私にとっては、この気づきこそが、カタルシス。やめられないのだ。

ただ、これにはマイナス面があることも自覚的ではある。

たとえば、(これはあまりいい例ではないが)自分が食べたい食べ物の味のイメージがぼんやりあったとして、「なんか、ソースな感じで、衣が絡んでいて、ご飯の味もあって…あ、これはカツ丼だな!」と決めてしまうようなことが起こる。

これの何がマイナスかというと、もし、自分の食べたい味にカツ丼というラベルを与えなければ、ご飯に天かすをぶっかけてソースで食べるという方法を思いつくなど、オリジナルというかクリエイティブに新しいことを生み出せた可能性があったかもしれないということ。

つまり、ピン!と言語化できるということは、単に自分の知っている何かと結びつくだけに過ぎないのだ。でも、早々に自分の知っているものごと、この場合は「カツ丼」というふうに決めてしまうと、自分のこれまでにはない新しい何かを生み出せたかもしれないチャンスを逃すことになりかねない。

いや、マイナスって書いたけれど、もちろん本来はどちらがプラスかマイナスかではない。この場合のプラスマイナスは状況によっても変わるし、自分が求めているものが何かによっても変わる。だから、どちらが良い・悪いではなくて、ものごとというのはそういう性質があるねっていう意識を持っておけばいいんだと思う。

で、まあ、考察のようなものをずらずらと書いてきたけれど、本題は、フリーランスになった自分の肩書きについて、ピッタリくるものが見つかってスッキリしている、ということを書きたかったのでした(ここからお知らせの気持ちが強まるので、急にですます調です 笑)。

いやね。「ライター」って言われるとちょっとピンとこなくなってきていたんですよ。

だって、ラジオ音声の編集したり、YouTubeの動画撮影・編集したり、 特定の活動や団体のSNS投稿を請け負ったりもしているし。

もちろん、書くことがメインだけど、それも自分発信というより、自分が心の底から共感している企業なり組織なりの伝えたいことを、どのように発信すればいいかというスタンスで書いていて、それがこの先、自分のメインストリームの仕事になっていくと感じています。でも、そういう仕事の仕方って、自分が思う(そして以前やってきた)ライターではないんですよ。

でね。おそらく業界の人なら、私がやっていることは「ライター」っていうより「コピーライター」の仕事の領域だよねって、わかってくれると思います。でも、一般の人はコピーライターっていうと広告の文案を書くってイメージするだろうから、フリーランスになってコピーライターをやっています、と言ってしまうとそれはそれで自分が目指したい方向性と乖離していて誤解を招きそうだなと、密かに悶々としておりました。

ところが、最近は「Contents Writer /コンテンツライター」っていう肩書きがあるんですね。それを知って、コンテンツライターというのが私の「知っていること」になったおかげで、これまでずっとモヤモヤしたものとつながったわけです。私がやっているのはこれじゃん!と。正確にいえば私がやるのは書くことだけじゃないから、コンテンツライター/クリエイターになるんでしょうけど。でもまあ、メインは書くことであることは変わらないのでコンテンツライターが一番しっくりきます。

先ほど、決めつけてしまうことのプラスマイナスについて触れましたが、今回、少なくとも今の私についていえば、スッキリと言語にできたことで、「もうちょっと勉強しておきたいスキル」や「そこは頑張りすぎなくていいかなと思う領域」が明確になってほっとしているので、その点ではプラス、と思っています。

が、コンテンツライターとして仕事をやっているうちに、他にやりたいことがどんどん出てくる可能性はありますし、自分が思うコンテンツライターの域を出た仕事の依頼をいただく可能性もあります。その時、この肩書きにこだわっていると、「それは私の仕事ではない」と考えるまもなくシャットアウトしてしまい、自分の人生をもっと面白く拡大できるかもしれない可能性を狭めてしまうこともあるから、決めたはいいけどこだわらない、というのが私の目指したいところであります。

いやー、しかし、スッキリしましたわ!

5月の振り返り

5月は忙しかった。でも、心をなくす忙しさではなく、心が常にフル、みたいな忙しさで、充実感に満ちていた。

会社を辞めて半年、つくづく実感するのは、いつのまにか会社のパラダイムが自分のパラダイムになっていたこと、そしてそれに気づいていなかったこと、だ。

もちろん会社のパラダイムが悪いわけではなく、会社の仕事は楽しかったし、仲間も好きだ。ただ、自分の物事の見方、物事を見るときの枠組みが、気をつけていたつもりでも、ずいぶんと会社のそれに固定されていたんだなぁという気づきがあったというだけ。

これは、この先、フリーランスに慣れた場合にも起こりうる。似たような仕事、考え、生活スタイルの人が集まることが続くとそのグループのパラダイムが世の中の当たり前と感じてしまう。そのことにより自覚的になって、いろんな仕事、考え、生活スタイルの人と意識的に会うということを続けていきたい。

あと、学びたいことがいろいろ出てきているのだが、どうやら3つくらいに絞れそうである。これらについて、今年後半から来年にかけてチャレンジしたいと思っているが、まあこれはお金と時間の捻出との兼ね合い次第で変更も可というくらいの曖昧な予定としておきたい。

実は私は日本にいた2008年から2010年にかけて、アロマやハーブを使った療法、植物療法の勉強をして、資格も取ったことがある。そのときは出版・広告業からそっちの方へとキャリアチェンジする気満々だったのだが、まあ、いろいろあって、出版・広告業に戻ったという経緯がある。

最近、いろいろ学びたくなってきているのは、いずれもウェルネス系で、植物療法を学んだときのことをよく思い出す。あの頃、大枚叩いて、数年かけて学んだのに、結局、それは今、あまり仕事(収入)とは関係していない。じゃあ後悔しているかと言ったらそんなことは全くなくて、今もつながっている友達と出会えたし、学んだことは今の私の日々の生活に根付いていて、こんにちの私を形作る大事な一部になっている。

そんなわけで、学ぶからには仕事につながったほうがいいというのもまた一つのパラダイムでしかないなって思えるようになっているので、学ぶことが何につながるのか今は見えなかったとしても心の声を信じて進もうと思っている。

最近の書き物

動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の 【10】【11】がアップデートされています。

【11】「自分の感性・価値観を行動に移す(2)」こちら

何かをやりたいと思ったとき、それを行動に移すときに、いくつかハードルがあると思うのですが、それらのハードルの一つについての考察です。

【12】「自己肯定感とは何か」こちら

自己肯定感は、私個人もとてもよく使う言葉で、かつてはこれが著しく低かったんだなぁと自覚していますが、自己肯定感って何かということを突き詰めたことはなくて、だいぶざっくりと捉えていました。この投稿では、動作学らしく、大きな全体像から、自己肯定感を捉え直していく試みをしています。

つくづく、動作学は、「そもそも論」のところなんだよなぁと実感します。物事を見るときの前提。どの前提が正しいということはないのですが、そもそも私たちが物事を見るときには知らずのうちに私たちがこれまでの人生で身につけた前提を通して見ている、つまりバイアスが絶対にあるってことを自覚し、違う前提で見てみたらどうなんだろうとトライしてみることは、大袈裟でなく人生を大きく変えるだろうなと思っています(自分がそうであったように)。

さて、もう一つ、ウェブマガジン「Stay Salty」の最新号でもエッセイを寄稿しています。

「体験しよう、旅しよう」こちら

おかげさまで充実感に満ちた日々です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。