03.16.2020

ハミングバード(ハチドリ)は、ネイティブアメリカンの教えで愛としあわせのシンボルと聞いている。カリフォルニアでは春になるとそこかしこで見かけるのでもう慣れっこになったが、それでもいまだに見るとうれしい。羽ばたいている状態を見ることは多いので、逆にこのように止まっているのを見るとさらにうれしい。そう、この写真の木の上にちょこんとハチドリが止まっているのです。裏山散歩中。裏山ではこの間、コヨーテにも出くわした。遠くから我々のことを見ていた。我々がこちらに来るのか、どのような動きをするのか、見ているようであった。その日は曇りであいにくカメラを持って行っていっておらず写真に収められなかったのがちょっと悔しい。次からは望遠レンズも持って行こうと考えている。裏山の散歩、犬たちの楽しみのために始めたのだが、自分もかなり楽しんでいる。

03.15.2020

Small forest with the morning glitter.

雨上がりの朝、裏山の輝きに目を奪われる。膝丈くらいの草を、しゃがんで下から煽るようにフレームに収めると、まるで森の木々のように見えた。カメラの面白いところのひとつはこれだなぁと改めて思う。犬たちが元気に走り回る姿に目を細め、絵に描いたようなしあわせな暮らしだなぁとしみじみ思ったのもつかの間、その後、2匹は史上かつてないくらいの泥にまみれて、捨てられた犬みたいに汚くなった…。そのまま家にあげるわけにはいかないので、2匹を家の外で待たせて、大きなボトル2本ぶんのお湯をくんできて体全部を洗ったはいいが、逆にわたしが泥水まみれになったうえ、犬たちがたいして乾いていない足で家の中に上がりこんだので今度は床がべちょべちょになり、一通り床掃除して洗濯機を回す…。ああ、これが現実だと朝からぐったり。それでも、しばらくして、遊び疲れた犬たちがそれぞれわたしの背中とお腹に体をくっつけて寝はじめたらそれはそれはかわいらしく、オキシトシン放出されたらしく癒されまくって朝の大変さはあっというまにぶっとび、やっぱり絵に描いたようにしあわせな暮らしだと思うのだった。

03.14.2020

なんのコマンドも教わった形跡がない状態で我が家にやって来たデイジー、3歳。うれしいとジャンプして飛びかかっちゃうなど、しつけのできていない大型犬はなかなか危険なのだけど、3歳からどこまで教えることができるのか、ちょっと不安だった。ただ、さすがに頭はよく、かつ食べ物ならなんでも大好き&人にほめられるのも大好きという特性のおかげでトレーニングは思ったより順調。先に住んでいたユパからも学んでいるようで、おすわりはもう完璧だし、指示されればケージに入れようにもなったし、「待て(Stay)」もごはんの前とか、散歩に出る前とか、ルーティーンで決まったシーンではできるようになってきた。

悩ましいのはうれしいとジャンプで飛びついちゃう癖。その行為がよろこばれないことだというのは、もう理解はしているようで、以前より回数は減って、飛びたそうな仕草を見せるががまんしている。だけど、5回に1回くらい思わずして体が動いてジャンプしてしまうことはまだある。

もうひとつ、意外な難関は「ふせ(Down)」。「おすわり(Sit)」まではできるけど、なにせ撫でられるのが大好きなので「ふせ」をさせようとすると、ごろんと横に腹ばいになってお腹を見せちゃう。

「違うよ、それは『ふせ』じゃないよ」とお菓子を保留にしていると、ユパが隣で「俺、『ふせ』してるのに、お菓子はまだ?」という目で訴える。で、ユパにお菓子をあげるとデイジーが「なんで?なんでわたしはもらえないの?」と「おすわり」をしなおす。「おすわり」すればもらえるんじゃないかと思っているのだ。

「おすわり」という号令で「おすわり」をすればお菓子をあげるけど、ただすわっただけじゃあげれらない。いまの号令は「ふせ」だ…という説得を繰り返すこと数度、結局通じずに諦めるという日々が続いて、最近は訓練タイムも設けていなかったのだが、この日、突然思い立って、相方にユパを任せ、デイジーだけと訓練したら、数回でデイジーがごろんと腹を見せることなく、ただ「ふせ」るということをした。ついに覚えた!

驚いたのは、自分の達成感がめちゃくちゃあったことだ。いうことを聞かせたっていうことがうれしいのではなくて、コミュニケーションが通じたということがうれしかった(たとえ向こうはお菓子をもらいたい一心だったとしても)。いままでどっちかっていうとユパのほうが好きであったのだが、この件で急にデイジーともボンディングができたような気がする。関係性というのはずっと同じじゃないし、時間をかけて努力して育んでいけるものなんだなぁと改めて思った。

03.13.2020

いまさらながら『飛んで埼玉』を見た。サンディエゴ在住の武田久美子さんが出ているし、昨年のサンディエゴ・アジア映画祭でも上映されたくらいなのに見逃したしで、ずっと気になっていたのだが、忙しい日々、優先順位の上位にはこずに時間ばかりが過ぎた。この夜も「そろそろ瞑想の時間だ」と思っていたのだが、相方が大画面で映画を見だしたのでなんとなく一緒に見ることになって、最初の20分くらいは「瞑想したいんだけどなぁ」と思っていたが、その後、数分後にはすっかりはまってしまった。東京とか埼玉とか千葉とか、かなりリアルで具体的で、関東の東京以外に住む人の心のうちをついているのだけど、映像は漫画のような虚構の世界に徹底しているのが、なんとも言えずいい。千葉県人に捕まると穴という穴にピーナッツを入れられるとか、千葉県出身としてはイヒヒと笑えるポイントがいっぱい。千葉で育ち(いまも実家は千葉県)、ほんのり東京に憧れ、社会人になって世田谷区とか目黒区とかわかりやすく都会指数の高い街に暮らすことで千葉出身であることを抹消したかった若かりし日の自分を思い出した。いまも実家は千葉なのに、亡くなった夫と結婚したおかげで本籍は神奈川にあるので、神奈川がふるさとのような顔してる(笑)。そのくせ、映画を見終わったあと、千葉はなまじっか海があるばっかりに、この映画の主役(埼玉)になれなかったのだと、へんな悔しさがあった(笑)。そうして、さんざん笑って、このあと、ちゃんと瞑想して寝たという振り幅の大きな1日であった。

03.12.2020

急に気がついたのだけど、ライターになって20年が経っていた。10年でようやく一人前という言葉があるけれど、20年やればさすがにライターと名乗ることに抵抗がないくらいの自負ができた。途中、広告のコピーライターになったし、いまは肩書きはライターではなく編集者だけど(でも原稿を書くことは多い)、自分の持っている資質としてはライターであるというのが一番しっくりくる。20年かけて、そこに戻ってきた。広告や編集をやりたかったのは、その当時は自覚はなかったが、いまとなってみると、書くということだけでなくて企画立案から関わって書けるようになりたいという思いからきていたんじゃないかと思う。そして、いまは、ライターをはじめたばかりの20年前に比べたら、ただ与えられたテーマを取材して書くだけでなく、企画立案や構成や制作進行管理まで、ずいぶんいろいろできるようになっている自分に気づく。わたしは「がんばればなんとかなる」というタイプのガッツは持ち合わせておらず「逃げるも勝ち」と思っているたちで、根性論は苦手だが、「継続は力なり」は、40をすぎてその通りだなぁと実感するようになった。ただ漫然と継続するのではなくて、どうしたら楽しくなるか試行錯誤しての継続。そのときは試行錯誤の手応えがなくても、続けていると、こうして20年過ぎて、「あ、できるようになってる!」と気づいたりするのもまた楽しい。

03.11.2020

カフェの入口で取材相手を待っていたら、目の前で発砲があった。目の前と言ってもそこは駐車場でわたしの前には大きな車が停まっていて視界は遮られており、目撃したわけではない。ただ、パンパンと突然音がした。最初はどこかの車が何かを踏んづけたのだと思った。しかし、しばらくしてまたパンパンと音がした。それで、銃声だと認識した。状況からして、不特定多数に向けられた発砲ではないことは明白だったので、わたしはただ下手に動かないようにしようと思い、息を潜めるような気持ちでその場に立っていた。

音はすぐにしなくなり、近所の店から人々が様子を見に外に出てきた。わたしの視界は相変わらず車で遮られていたけれど、彼らの様子から、けが人が倒れていたりするわけではなさそうなことがわかった。そのうちの一人が電話をかけて警察に知らせているようだったので、わたしは現場を離れてカフェの中に入った。

カフェに入ると奥は静かで、何事もなかったかのようだった。実際にそこで待っていた取材相手(わたしは外で待ち合わたつもりだったが相手は先に中にいたのだった)には銃声は聞こえなかったと言う。取材は普通に終わって、わたしはずっと落ち着いていたが、カフェを出たら駐車場にPolice Carがたくさん停まっていて、付近は黄色いバリゲードで封鎖されていた。そこでようやく発砲は本当だったのだとリアルに感じられるようになって、気持ちがわさわさした。

わたしの車はぎりぎり免れたが、取材相手の車はわずか1列の違いで現場検証のエリア内に入ってしまい、彼女は車に戻ることができず、車から荷物を取り出すことも許されなかった。わたしはどこに停めるかちょっと悩んだことを記憶していて、あのときの判断のおかげで、自分の車はすぐに出すことができるんだなぁと、本当にちょっとの差が生んだ違いについて思いを巡らせた。発砲があったとき、わたしは車を降りて道端に立っていた。あれもまた、ちょっとの差で、巻き込まれた可能性があったかもしれない。

治安はいいといってもやっぱりアメリカは怖い…そんな話で片付けてしまいそうだけど、いやいや、ちがうちがう、それこそ思考停止だよ、と心の声がした。

どこに住んでいても何をしていても、普通に暮らしているのに事件や事故に巻き込まれる可能性は、いつだって必ず隣り合わせにあるのだ。そういう意味ではウイルスに罹患する可能性も似たようなものだ。心配しすぎていたら、外に出ることができないし、じゃあ、外に出なければ安全なのかと言えば、そうでもない。ある特定のものを避けるのに家はいいかもしれないが、別のものを避けるのには家は向いていないということも多々ある。

心配していたら何もできない。それこそ生きることをやめるまで心配は続く。かといって「ポジティブ」とまるでいいことのように言葉を置き換えて能天気でいることがいいとも思えない。たとえば治安の悪い場所にはあえて行かないとか、事故が起こりそうな状況なら出かけないとか、注意深くあることで避けられることなら避けるのが賢明であろう。

わたしにできることは、注意深くはするけれど、心配はしない、ということだな。そんなふうに思った。その夜、読み途中のパラマハンサ・ヨガナンダの『Man’s Eternal Quest』を開いたら、次の章のタイトルが「Cautious but Not Fearful」であった。

03.09.2020

映画『ペイン・アンド・グローリー』が何かの扉を開いたみたいで、昨日の投稿を書いたあとで、感受性の扉が久しぶりに全開になって、「おおおおおおおお、そういうことだったのか!」という気づきがどんどんやってきた。そのあとに、その日は乙女座で満月だったと知った。しかも水星逆行の終わり。最近は以前ほどは新月満月、水星逆行などを気にしなくなっていたが、それでもそうと知らずにいる自分の気づきなり言動なりが星の動きとリンクしていることに時々気づかされて、はっとする。そして、きらりんと、またひとつ、一枚の光る絵が降りてきて、自分のやってみたいことが見えたのであった。これはその先のベールがはがれるまでのダミーかもしれないし、これが本当にやりたいことかもしれない。どっちでもよくて、ただ、いまそれをやりたい気がするからやってみる、以上。こんな簡単なことが、なぜ昔はできなかったんだ…。思うに、何かをやるなら結果を出さねばならない、結果を出せないとしても理由がないといけない、とどこかで思っていたんだろうね。