性格は変えられる?

何か気が重いことがあるときや、嫌な状況に陥っているときに、物事を細分化して見ることを心がけるようになった。

たとえば、会社の上司が苦手でストレスを感じている場合、嫌悪を感じる上司の言動が少しずつ溜まって、最終的に「だから会社が嫌なんだ」と極論に走る癖がわたしにはあった(あくまでも例であって、現実の話ではないですよ)。

でも、よく感覚を研ぎすませて自分の感情を分析していくと、自分が感じている気の重さや、嫌な状況というのは、全体ではなく、その中のごく一点、多くても数点だけだということがわかる。

上司は嫌だけど、仕事の内容は嫌いじゃない、とか。上司は嫌だけど、これだけのお金をもらえる仕事はそうそうない、とか。

細分化してみると、会社が嫌なんじゃなくて、上司が嫌なだけということが往々にしてあるのだ。

なのに、All or Nothingというか、ひとつの部分がダメだとまるで全部がダメといっしょくたにしてしまう。

私の場合は、約束事でもよくそれが起こる。行くと約束してしまったイベントの当日になるとどうも気乗りがしなくなるという現象。

そのとき、気乗りしない感覚を分析していくと、イベントそのものは楽しみなのだけど、車の運転が嫌なだけという場合が結構な頻度である。

不快感を抱いている部分がポイントで明確になったら、その部分についての望みを明確にすればいい。

車の運転が嫌なら人に乗せていってもらうようにお願いするとか、お金を払って配車サービスを頼むとか、いくらでも方法はある。気が乗らないのは車の運転だけで、そのためにイベントそのものに気が乗らないのだと勘違いして、行きたかったイベントをキャンセルするのはもったいない。

会社も同じで、上司が異動になったらいいな、せめて上司と接点を少なくしたいな、と、まずは細分化した部分での望みを明確にしてみる。

そしたら本当に上司が異動になった!という奇跡は、まあ、起こらない。いや、わたし自身は、起こると信じているけれど、起こらない可能性は高い。けれど、自分の考え方、焦点の当て方、つまりは意識が変わったことは確かで、そうすると、あんなに嫌な上司だったけど、なぜかしらないけどちょっとマシに感じるようになった、ということは往々にしてある。

と、ここまで書いて気がついた。めったに会わないんだけど、なぜか好きで、あんなふうになれたらいいなと思っていた友人がいるのだけど、彼女の思考回路ってきっとこんなんなんだな。わたしは40歳を過ぎてできるようになった。

輝いている人には理由があって、その理由というのはその人の持ち物でも、置かれている環境でもなくて、たぶん持っている思考回路によるんだな。

性格の違いでそういう思考をすることが得意か、得意でないかはあると思うけれど、でも、性格だとしても、もしその性格のおかげでしあわせじゃないと本人が感じているなら、思考回路を変えることで変えられる部分がある程度はある気がする。自分がそうだったように。