Stay Salty March 2022アップされました

コラムを寄稿しているウェブマガジン、STAY SALTYのMarch 2022号がアップされました!

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さて、ここからは近況報告。

今年からフリーランスになったといっても、いろいろ仕事を取るというよりは、もう話が進んでいるプロジェクト3つについて、全力投球しよう、というのが私の2022年の目標です。

そのうちのひとつが動作学で、もうひとつがNumun Naturals CAのCBDオイル、そして、いよいよもうひとつのプロジェクトも動き始めました。

今、それについてキャッチコピーなり、あるいは関わるみんなにとっての共有の指針となるコンセプトワードなりを出したいなと思っていて、頭の中が常にアクティブ。

言い方を変えると、常に悶々としている状態とも言えるんですが、これが、なんだろう、すごく楽しいのです。

2002年頃、雑誌のライターから広告のコピーライターの仕事へとシフトしたとき、その、たった一言を生みだすために悶々とするということにとんでもなく面白さを感じたんだったということを思い出してもいます。

いい言葉を見つけられるといいなぁ。というか、絶対見つけよう。

若いときは、これがプレッシャーになって疲弊していたわけですが、今は、自分の心身を最善の状態にすればきっとなんとかなると思えるようになったし、なんなら私でなくても携わっている誰かからいい言葉が出てくるのでもいいと心底思えます。

昔は、自分でない他の人がいい言葉を出したら、自分がコピーライターとしてこのプロジェクトに参加した意味がないと思って自分を責めていました。でも、今は、動作学的に物事を見られるので、誰かがいい言葉を出したとしたら、そのプロジェクトに関わっていた私もちゃんとその言葉を引き出すのに役立っていたはずだと思えます。

知識を身につけることは、力になる。

年齢を重ねるほど、それを実感します。

じつは昨日で、渡米して丸8年でした。

8年前、一人でロサンゼルス空港に降り立ったときの状況、心境など思い出すと、その8年後の今の私は「上出来」「かなりよくがんばりました」です。

今週末は小さなお祝いを、自分にしてあげよう、なんて考えています。

動作学マガジン【03】アップしました

noteで執筆している動作学マガジン「動作学というレンズを通して」の【03】をアップしました。こちらからご覧いただけます。

今回は、3つある動作学の基本キーワードの最後のひとつ、「適応」についてです。

これについて、私の学びは、性格や体質といった、「もともとそうだった」と思いがちなこともまた「適応」の結果であって、今後次第で変えられる、ということでした。

たとえば「私は引っ込み思案で…」というのも、もちろんある程度は先天的な要素はあるでしょうが、引っ込み思案であったほうが生きるのに都合がいい環境にいることを続けた結果としてなった、とも言えるんですね。

もちろん引っ込み思案が悪いわけではないです。ただ、もし、その引っ込み思案を変えたいと思っているなら変えられますよ、ということ。

というわけで、ここのところ動作学関連のお知らせばっかりしています。他の仕事もいろいろやっているんですけれど、それはまたおいおいお知らせできたらいいな、と思いつつ、フリーランスになったらしばらくのんびりしたいと思っていたのに案外忙しくて、どこかでひと段落させて、まとまった休み(仕事から完全に離れる期間)を取りたいなぁなども思っている今日この頃です。

動作学関連の最新アップ情報

えっと、しつこく動作学関連の更新情報のお知らせです。

noteでやっているマガジン、「動作学というレンズを通して」の02回「アウトプットを変えるために知っておきたいこと」をアップしました。

内容は、動作学の基本キーワードのひとつ「知覚行為循環」の説明です。

知覚行為循環とは、単純にいうと、人間は体全部を使って自分の体内と外側と、すべての環境の情報をインプットしてプロセスしてアウトプットしている、それを繰り返している、ということ。…書くと当たり前のこととして理解できるのですが、動作学を知る前の私はその概念を、日々の自分の言動や仕事といったことと結びつけて考えるってことができていなかったし、ましてや活用することができるとは思ってもみませんでした。

で、これがまた、この概念を考え方の枠組みとして持っておくと、いろんなことがとっても「わかる」んですよ。

わかる気になっているだけかもしれないけれど。

さて、動作学といえば、動作学を実践し、実際の現場でも活用しているスポーツトレーナー3人の方々(川尻隆さん、大下太一さん、山本邦子さん)がホストを務めるポッドキャスト(音声ラジオ)もやっています。

これがまた毎回「哲学を科学する」みたいな内容で面白く、だけど、レクチャーという感じではなく、あくまで3人が対話を通して創発的に生まれることを軽やかに楽しんでいる様子が心地よいんですよ。

洗濯物をたたみながら、とか、通勤の途中に、など、気軽に聞けて、聞いているうちになんとなく動作学的な考え方っていうのがわかってくる、という番組になっていると思いますので、ぜひ多くの方におすすめしたいです。

ちなみに、このポッドキャスト番組、第80回から、私が音声の編集を担当させていただいています。

音声に限らず、まだ世の中に出ていない生データを真っ先に読める(この場合は聞ける)というのが編集者の役得。

まあ、とにかく、今は日々が楽しいです。おかげさまです。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました!

最近の自己対話

フリーランスになってまるっと2カ月が経ったところでの振り返り。

動き出すと見えてくるものがあると多くの人がアドバイスしてくださったけれど本当にその通りと実感するここ数日で、この時点で見えてきたことをちょっと書き留めておきたくなった。もちろん、この先また変わることもあるけれど。

少なくともこの2カ月で、自分は「健康と幸せ」といったかなりざっくりと掲げたテーマの中でも、とりわけ「心身一如」の部分に興味と情熱を感じているのだなと見えてきた。

心身一如というのは、簡単にいうと心と体はひとつ、という考えで、もともとは仏教の考えにあった言葉と理解しているが、もちろん今では脳神経学などの発展と共に科学的にもそのつながりはわかってきている。

この心身一如というコンセプト、知識と知っているだけではもったいなく、どんどん主体的に積極的に使いこなして、自分らしい人生を構築していこうよ、というのがおそらく私の伝えたい一番のポイントのようだ(なんせ自己と対話した中で見えてきたことなのでまるで他人事ふうの語りですみません)。

具体的には、体の症状にたいしては、心の側面からアプローチすることで楽になることがあるよ、とか、心のしんどさにたいしては、体からアプローチすることで楽になることがあるよ、ということ。

そのアプローチは本当にさまざまあって、私は特定のどれかというよりは、さまざまなアプローチを手を変え品を変えていろんな場で伝えていくことで、必要としている誰かに届けることをしたいかもしれない。

というより、不調が表に現れたときだけでなく、より健やかで幸せであるために日々の生活の中でこの心身一如を理解して使いこなして自分らしい人生をまっとうしましょうよ、ということが一番伝えたいのかもしれない。

ものすごくドリーマーみたいな信条なので公には書きにくいけれど、より多くの人が本当に自分らしい人生をまっとうできるようになれば、その結果としてよりよい愛の世界の実現が可能になるのだ、私は心から信じている。

ところで昨日、大好きな幼なじみとZoomでおしゃべりをしたんだけど、彼女も似たようなことを考えていてうれしかった。

彼女の場合は、その「自分らしい人生をまっとうできる人を増やす」ために、また私とは全然ちがうスピリチュアルなメソッドを選んだ(選ばれたとも言えると思う)けれど、入り口は違うだけで目指すところは同じ。

そして、彼女と話したことで、私もスピリチュアルが大好きなんだけど、でも、スピリチュアルな見地からとは違うアプローチで自分はやっていくのだと気持ちがクリアになったこともうれしかった。

うまく書けないのだけど、自分の中にちょっとあったらしい、なんらかの執着がすっと消えたというか。

そもそも、生きるってことがもうスピリチュアルだから、何をどういう方法でやってもスピリチュアルであるしな、と。

で、この場でもちょいちょい熱く語っている動作学は、数あるアプローチのひとつというよりは、心身一如ということについて(厳密にはさらにもっと広いことについて)、根本的な理解を深めるベースの知識である、という感じかな。

「本当に自分らしい人生」って書くと、こうこうこういうのが私らしい、とかって、つい言語化して限定したくなっちゃうものだけど、自分らしい人生というのはそんなふうに言語化はじつはできないもので、その瞬間瞬間を生きる(まっとうする)ということの結果として表れるものでしかない、と今は思っている。

逆説的に言えば、「本当に自分らしい生き方」を模索したり目指したりする必要はなくて、今、その瞬間の心身と情報交換をして、心身と連携を取り続けて調和するってことを細かくやり続けて生きるということが、結果、自分らしい人生になっている、ということだ。

って、自分で書いておいて、「え?じゃあ、心身と連携を取る、第三の私がいるのね?それは誰?」って思ったけど。

もしかしたらその第三の私がボディ、マインド、スピリットと言われる中のスピリットの部分なのかもしれないけど、今回の文章は私の情熱の対象がクリアになったってことの記録なので、それ以外のことについては深く考えないことにする。

まとまりなくなったけど、 振り返りの自己対話をしながらそんなことを考えたフリーランス2カ月目でした、と強引に終えます(笑)。

「動作学というレンズを通して」最新版アップ

noteで日本時間の月曜日朝に更新する連載マガジン「動作学というレンズを通して」を始めました。

その第2回「動作学キーワード『動的平衡』って?」をアップしました(こちら)。

人は、いや、生き物とは揺らぐもの。つまり、アップダウンはあって当たり前のこと。アップしたときは良くて、ダウンしたときは良くないなんてことはないのです。

私はヨガや瞑想などを長らく実践してきて、また、その哲学・教えを学ぶことも好きだったので、「物事はただ起こるだけ。それに良い、悪いと自分でラベルをつけているだけで、物事そのものには良いも悪いもない」という考え方はわりと昔から知っていましたし、そのように考えればいいんだと思って実践してきました。

でも、動的平衡の話を聞いた時に、「っていうか、そのように考えるもなにも、そういうものなんだ!」と思えたんですね。

なんだろう、うまくいえないけど、「そういうふうに考えればいいんだ」っていうのと、「そういうものなんだ」っていうのでは、似ているけれども深みが違うんですよね。「そういうふうに考えればいいんだ」にはまだちょっと疑いがある。でも、「そういうものなんだ」にはもう疑いはありません。それこそ、よりどころとしている土台が違う。それこそが前提が違う(変わる)ということなのです。

最近、私はパラダイムシフトという言葉を好んで使っているのですが、あえてその言葉を使いまくりたいくらい、世界の見方というか、物事への見方が激変した自分を実感しているからなんです。

激変するまでには、それこそヨガや瞑想、Self Realization Centerの学び、いろんなものが関係しているから、これのおかげで激変したという理由はひとつではないとはわかっていますが(これもとても動作学的考え)、それでも、最後の最後にどどーんと変わる自分を後押ししてくれたのは動作学であるとは感じています。

で、私は、かつての私のような生きづらい若い女の子になにか役立てることをしたいっていうのが自分の活動の一番のモチベーションで、自分をここまで変化させた動作学を知ることで同じように生きやすくなる人がいるんじゃないかと思って、動作学を伝えることに情熱を傾けています。

でも、それは私にとっての動作学というだけで、動作学そのものは、「いのちがあるということ」の本質を探究していく学問だから、ものすごーくいろんな分野にあてはめて活用ができるはずと思います。マガジン、読んでもらえたらうれしいですし、フォローしてもらえたらもっとうれしいし、「スキ」してもらえたらはげみになります(笑)。また、わかりにくい部分や、動作学的に解説してもらたい物事などトピックがありましたら、どうぞコメントなり、このサイトの問い合わせフォームなりでお知らせください。

自分が情熱を傾けることを書ける場があって、読んでくださる方がいるって本当にうれしい。インターネットありがとうとここ最近本気で毎日思っています。

この投稿も最後までお読みくださりありがとうございました。