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01.14.2020

魂の計画というのは、段階的に展開するもので、次の段階を進むために、ときに魂は「ダミーの情熱」を使って自分(肉体の自分)を動かすことがあると常々感じている。たとえば、アメリカに、カリフォルニアに、来ることになったのは、聖地シャスタが大好きになって、シャスタに通いたかったから。しかし、当時望んでいたサンフランシスコ(シャスタに近い)にはビザのサポートまでしてくれる募集はなく、結果的にロサンゼルスになった。と思ったら、すぐにサンディエゴに異動になった。シャスタからさらに離れるが、そのときはシャスタと同じくらいサーフィンへの情熱も戻っていたので基本的にはわくわくして行った。そして執着とか中毒と言われてもいいくらいサーフィンにハマりまくった。ところが、ここにきて、すとんと力が抜けた(いい意味)。シャスタもサーフィンもいまも好きだし、シャスタには通い続けるし、サーフィンも続けるけど、それらに熱中しているような形をとって、じつは自分の中に表面に見えているのとはまた違う、より本来の望みの近い、別の種をまいていたような気がする最近。それらが芽を出し始めるぞ、というような感覚を先取りしてまたわくわく。人生というのは、どんどん「自分」になっていく旅路であるなぁ。

12.26.2019

 マーティン・スコセッシ監督のNetflix公開作品、『The Irishman』を見た。主演はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ。このような大作が、Netflix配信ということに時代の変化を感じずにいられない。映画というのは何をもって映画なんだろう。そんな問いも出てくるが、回答は出なさそうだし、ただ言いたいだけでした(笑)。

 さて、映画『The Irishman』は、いまは高齢者施設にいる殺し屋フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)の回想という形で語られる。回想される過去の時間軸が2つあって、そのうえ、いまの老人になったフランクもちょいちょい挿入されるので、最初はなかなか理解ができなかった(英語で見たせいもある)。でも、だからといってつまらないということはなく、3時間30分の長編ながら飽きることなくぐいぐいと引き込まれた。

 この映画は、激動のアメリカ史として見られるし、マフィア映画としても見られるし、いろいろな見方があると思うが、わたしは、フランク・シーランという一人の男の人生物語として面白かった。家族を守るため、あるいは、誰かとの絆を守るため、裏社会を必死に生きたフランクだけど、高齢になったいま、共に生きた関係者は全員先立ち、自分がしてきたことを知る人はいないし、してきたことを「すばらしいことだ」と言ってくれる人も、「仕方のなかったことだ」と言ってくれる人もいない。なんだかとても切ないラストである。

 マーティン・スコセッシが77歳ということを鑑みると、ますます、これは老いというか、自分のしてきたことは人生の最後にどう見えるのか、あるいは、自分のしてきたことが人生の最後にどう影響するのか、そんなことを伝えているように思えてならなかった。何をしても、しなくても、人は老い、必ずいつかその人生は終わるのだ。

 ところで、この映画を見ることにしたきっかけは、わたしが担当している映画連載コラムの著者、映画史研究家の宮尾大輔さんが解説を書いてくれたからだった。これまで、宮尾さんが解説を書いてくれた映画を「見たい」と思っても、忙しさで忙殺されているうちに次の原稿がくるということが多かったので、2020年は見たいと思ったものはとっとと見るの精神でいきたいと思っている。わたしの中でプチブームの5秒ルールを採用する範囲を、2020年は広げようかと。

アメリカ移住の経緯(2)

前回の続き)

祈りの答えがもたらされたのは、それこそ本当に祈りの儀式に参加していたときだ。

ネイティブアメリカンのビジョンクエスト。4日間、山に一人でこもって祈り、「ビジョン(使命)」をもらうというもの。ラコタ族からその儀式を執り行う許可をもらったというKさんを指導者として、日本人であるわたしも受けることができたのだ。

伝統的には何にも持たないで山に入るのだが、近年のものは、タープ(雨よけ)と寝袋と水だけ(食べ物はダメ)は持っていってよい。また、例外として、自分にとっての祭壇となるもの、およびビジョンを受け取ったときにメモするための筆記用具も持ち込みが許された。

これに参加したのは、わたし自身が心底「ビジョン」を「クエスト(探求)」していたからに他ならない。前回書いたように、アメリカに行きたいという気持ちはありつつも、どうしていいかわからなかったし、もっと言えば、夫がいなくなった世界でこの先どうやって生きていきたいかわからず、何ならすべて神に決めてほしいと思っていた。決めてくれたら、それをやるから、と。

山に入って何日めだったろうか。ひたすら祈り続けている中で、急に心の奥から声が響いた瞬間があった。あたたかくて愛に満ちていて、自分のものであるだろうが、自分とは思えないような声。

声は言った。

「まず、望みなさい。望みを持つことは悪いことではない。あなたが心から望むことは、魂の望みでもあるのです。だから、まずは望んでください」。

自分はビジョンを与えられることを望んでいたのだが、もし自ら望んでいいのなら、やっぱりアメリカで暮らしたい、そう思った。そして、その声にこう返した。

「望んでいいなら、アメリカで暮らしたい。けれど、方法がわからない。可能性が高そうなのは留学だけど、本当の望みはただ暮らしたいだけで、高い学費を払って勉強したい何かがあるわけじゃない。となると語学留学というのが手っ取り早いけれど、学生だとその間、稼げないし、今さら英語を勉強したいわけでもない」。

すると声がまた聞こえた。

「山を降りたらすぐにリサーチをすること。いま、あなたが想像していない方法で、行ける手段が見つかるはずです」。

これを書いているいま改めて振り返ると、「っていうか、その手段を最初から教えて」と突っ込みたくなるが、そのときは「行ける手段が留学のほかにあるのかも」と思えただけで心が踊った。

そして、山を降りてすぐ、インターネットで検索しまくっているうちに、以前オーストラリアに移住した親友を訪ねたときに、現地の日本語情報誌を見たことを思い出したのだ。

日本語情報誌だから当然、日本人が作っている。そのような場所なら15年近く編集ライターをやってきていることが強みになって、雇ってもらえるんじゃないか?

出版、広告の世界にはもうほとんど興味がなくなっていて、再び戻りたいとは思っていなかったのだが、アメリカで暮らせる手段になるなら話は別だ。

調べているうちに海外転職をサポートする専門のエージェントがいることも知った。それが2013年の秋頃の話で、エージェントに頼んでトントン拍子に話は進み(多少の紆余曲折はあったけど)、その翌年の春に引っ越してきた。

当初はシャスタの近くを望んだのだけど、実際にはサンディエゴに落ち着いて、シャスタはちょっと遠のいたかわりに、サーフィンざんまいができている。

夫は亡くなる前に、言ってくれていた。「君が当面の間は生きていけるお金は残す。でも、次に生きていく場所が決まるまで暮らせるくらいの額だけだよ」。

よく、そのようなお金は使えなくて取ってあるという遺族の話も聞くのだけど、わたしは夫が志半ばで断念したツリーハウスの完成に使ったりしたほかは、「次に生きていく場所が決まるまでの暮らし」に使わせてもらった。

結果、アメリカに来る頃には、わたしがもともと貯金していた額だけが手元に残っていた。

彼は自身が言った通り、わたしが次に生きていく場所が決まるまで養ってくれたのだ、と思った。

かっこいい人だったんです。

この先、今生ではもう会えないことを思うとき、寂しくなることはいまも変わらないけど、彼亡き後、わたしがアメリカに流れ着き、たくましく図太くこの世界で生き延びていることを誇らしく思ってくれているだろうと信じている。

アメリカ移住の経緯(1)

2014年の3月にアメリカに移住した。きっかけになったのは2012年の2月に夫を亡くしたことだった。

子どもがいなかったので、「とにかく子どもを育てねば」という状況ではなく、また夫のお父さんと二世帯住宅で暮らしていたので、そこにいる限りは家賃は発生せず、よって「とにかく働かねば(お金を稼がねば)」という状況でもなかった。

これはありがたいことなんだけど、おかげで、わたしは「では、この先の人生どう生きていきたいのか」を問われることになった。「せねばならない」がない中で、夫もいなく、はたしてわたしはどう生きていきたいのか、と。

答えはもちろん簡単には出なかった。そもそも最初の1年は何かをする気力がどこからも出てこなかった。たまにサーフィンをすることだけが楽しみで、この先もこんな風にサーフィンをして暮らしたいなぁというくらいしか願望はなかった。

フリーランスだったのでいくつか仕事の依頼をいただいて取り組んだけれど、とてもじゃないけど頭が回らなかった。夫と結婚したことをきっかけに、わたしは東京から鵠沼に移り住んで、ライターやコピーライターの仕事は減らし、アロマとハーブの店でアルバイトするのどかな日々に楽しみを見出していたので、彼が亡くなった後、また再び締め切りに追われる、あの忙しい日々に戻るのかと思うと気が滅入って、現実逃避のように旅行ばかりしていた。

親友の暮らすオーストラリアへの一人旅。心の友とのハワイ旅行。そして、ひょんなことから声をかけられたカリフォルニアの聖地、シャスタへの旅行。

いま思えば、夫が亡くなった後の1年間のうちにした3つの旅行は、どれも自分にとって意味深いものであった。しかし、極め付けはシャスタだったと思う。というのも、わたしはそこでアメリカに暮らすたくさんの日本人と会って、「そういえばわたしはいつか海外で暮らしたいと思っていたことがあったなぁ」と20代の頃の夢を思い出したからだ。

1年か2年か、いやできればもうちょっと長く海外で暮らしている自分…想像してみたら、夫を亡くしてから久しく感じていなかった「わくわく」がちょっとあった。行くならカリフォルニアだと決めた。シャスタに通いたかったからと、何かあったらシャスタで知り合った日本人の仲間たちに頼れると考えたからだ。

不思議なのだけど、カリフォルニアに行こうと決めたそのときは、シャスタの近くというのが希望で、サーフィンは諦めていいと思っていた。というのも、シャスタは北カリフォルニアなので住むならサンフランシスコになるだろうから。サンフランシスコでもサーフィンはできるけれど、とんでもなく寒いのでかなりハードコアになると知っていたので。

でも、まだ、このときは、どうしたらカリフォルニアで暮らせるのか、方法がわからなかった。当時、わたしはどんどん精神世界に傾倒して、自分の欲求を消し、与えられた環境を受け入れることが霊的な成長だと信じていたので、海外に暮らしたいという欲求に対して自分で何か動くということはせず、「もし、この願いを宇宙が許してくれるならば、チャンスをください」と祈るばかりだった。

そしたら、ある日、祈りの答えがもたらされたのである。

続いているものにはちゃんと理由がある

相方に指摘されて気がついたのだが、わたしは案外「三日坊主」ではない。昨日書いたように英会話もコツコツ地味に勉強を続けているし、軽い筋トレ(スクワットとプランク、プッシュアップ)も続いている。

もちろん、継続すると決めたらなんでも続けられるというわけではない。じゃあ、続けられるものはなんなのか、分析してみると、大きく2タイプにわけられる。

ひとつは、単純に好きだから、やると楽しい、もしくは気持ちよいから続いているもの。これはヨガ、サーフィン、瞑想、ブログ(文章を書くこと)などがそう。

もうひとつは、継続した後の自分を明確にイメージでき、そのイメージにわくわくできるもの。英会話や筋トレがこれに当たる。

前者の場合は、ほうっておいてもやることだから、継続するのにコツはいらない。ただ、後者の場合は今の時点で楽しいと感じているわけじゃないから続けるのにはちょっとだけコツがいる。

そのコツというのが、まずは目標をしっかり設定することなんだけど、ここで言う目標はビジョンに近いかもしれない。

たとえば筋トレだったら、「痩せたい」「スタイルをよくしたい」というのではなく、スタイルをよくすることでどういう自分でありたいかまでイメージする(しかもそれにわくわくする)こと。自分の場合はそこまでイメージできたものはだいたい続けられるし、イメージが明確なので、結果として続けること(そこにたどり着くまでの過程)が楽しくなる。

もうひとつのコツが、自分の毎日の具体的なタイムスケジュールを割り出して、「それ」を日常のどこに組み込むかを設定すること。

これもこと細かくビジュアライズするほど現実に取り込みやすくなる。たとえば、英会話なら、毎日寝る前にやろうというだけでは弱くて、もうパジャマを着ている段階なのか? 歯磨きの前か後か? お風呂上がりか? 使う部屋はどこか? 使うツールはパソコンなのかスマホなのか? どのくらいの時間何をするのか? 

細部をリアルにイメージすることで、忙しくても「このやり方なら無理なくできる」という着地点を見出すことができるので、見出したらそれをやるのみ。

最近つくづく思うのは、自分に限界はないんだってことだ。「わたしは三日坊主だから…」「わたしはこれが苦手だから…」と自分で思っていることの多くは、変えたいと自分が望み、それにふさわしい行動をすれば、びっくりするくらい変えられる。

もちろん、三日坊主でも、苦手なものがあっても、別に変えなきゃいけないわけじゃない。あくまでも自分は何を望むかが出発点。

ただ、自分に関していえば、自分が望んだことに対して自分で答えてあげることが自分への信頼につながって、生きることを楽しくしてくれるなぁと実感している。しかも、必ず変化を伴ってくれるので、自分は望んだ自分になれると体感できる点も人生を楽しくしてくれている。この夏はお腹に縦筋3本入れたいんだけど、もうちょい!

パートナーは自分だった!

久しぶりのプチ・パッカーン。

いきなり余談だけど、パッカーンというのは、急に自分のこととして腑に落ちた気づきのことで、よく心屋さんのブログで使われている言葉だ。

けれど、じつは今から15年近く前に、わたしの親友が使った言葉でもある。

オーストラリアにワーホリ(いまは結婚してオーストラリアで暮らしている)に行って、自分がどれだけいろんなものにとらわれていたかに気づいた彼女は、「パッカーン」って脳ミソが開いた、というような表現をした(動作付き)。それが面白くて、しばらく「(脳ミソ)パッカーン」は我々のトレンドワードだった。今や市民権を得ているが、わたしはいまもこの言葉のコピーライトは親友Kにあると思っている(笑)。

閑話休題。

わたしの相方は世間的にいい会社に務めるサラリーマンだが、長髪に髭、よい大学も出ておらず現地採用で、いわゆるエリートとか出世街道からはほど遠い。

わたしはそれで(いやむしろそれが)いいと思っているのだけど、彼はわたしや誰かと話すときにいちいち「世間的にはこっちがかっこいいとされるかもしれないけれど、俺はこっちが好きで」という言い方をするのが気になっていた。

なんなら、ときどき、苛立ってもいた。

「世間的にはこっちがいいのかもしれないけれど」。本当に自分の好きな方がいいと思っていたら、この一言は余計だ。それでも付けずにいられないのは、本人のコンプレックスとか、内面的な何かの反映だろう。そう読んでいたので、苛立ちを本人にぶつけることはなかったけど。

しかし、今朝、パッカーンときた。

相方がやっていることは、わたしがが自分でやっていることと一緒じゃん!

わたしの場合、宇宙の法則や意識の使い方といった「自分の中の真実」に準じて生きる選択をするとき、いちいち「今の一般常識とは違うかもしれないけれど、わたしはあえて違うほうを選ぶ」と言い訳のような言い方をせずにいられない。

わたしはわたし、それでいい、と本当に思っていたら、言い訳はいらないのに、せずにいられない。

なんで、言い訳がいるんだろう? 自分に訊ねると答えはすぐ返ってきた。

いや、あれは言い訳ではなくて、自分は(いまの段階では)つい世間の価値観や他人の意見に流されがちになるから、何度も言うことで自分を鼓舞しているのだ、と。

つまり、自分は自分の真実を本当に信じていて、それでいいと本当に思っているけれど、現時点ではまだ自分軸が弱くて他人に何か言われたらすぐにめげちゃうから、自分の本当を生きるために、毎度、自分(と周囲)に宣誓しているのだ。

そしたら、急に、自分も、相方も、かわいく思えた。わたしも、彼も、一所懸命、自分を生きようとしている仲間じゃん、と。

いつか、そう遠くない未来に、いちいち宣言しなくても自分を生きる選択をしつつづけることができるようになりたい。いや、なろう。

知らぬうちに自分を責めている

前回に書いた直感の話で気づいたことだが、直感で選んで思う通りにならなかったときなど、結局、「なんでこんな選択をしたんだ」とちょいちょい自分を(無意識に)責めているんだなということも気づいた。

この間、穴口恵子さんがブログで、ワクワクでイケイケのときに、「自分にそんなことができると思っているの?」という声が出てきた話を書いていた。穴口さんでもそういうことがあるのか、とちょっとほっとしたのだけど、彼女はそういう自分の恐れの声を無視するのでなく、また無理矢理抑え込むのではなく、「へー、そんなふうに感じているわたしもいるのね」とだけ受け取ると書いていた。

つまり、批判しないということ。そんな恐れを持っていちゃいけない、と自分を責めない。そんな恐れがあるなんて自分にがっかり、と自分を責めない。

最近は以前に比べたらだいぶ自分のことを受け入れていると思っていたけれど、無自覚に自分を責めていることはまだまだあるなぁと気づいた次第。そりゃ、疲れるよね。自分で選んで、選んだ自分を責めて、ってやっていたら。

無自覚な自分否定、ときどきやっていないか、見直してみるのは面白そう。