私は元々はライターだったのですが、ヨガを教えたり、ヒーリングのセッションをしたりさせてもらうようになって、言葉で伝えることの難しさをこれまで以上に痛感するようになりました。
難しさの一つは、特定の単語について、それぞれの人がイメージするものが違ったり、定義もまちまちだったりすること。
「癒し」という言葉も、「ホッとした」「くつろげた」というニュアンスで使われることもあれば、「(心or体の)傷が癒えた」という意味の癒しもあって、「癒された」という一言の奥にある意味はその都度都度で大きく違っていたりします。
で、ここからはあくまでも私の定義、というだけなのですが、私はヒーリングをさせてもらう側になって、セッションをさせてもらうようにもなって、癒しというのは「愛を感じられるようになること」だと思うようになりました。
愛っていうのもね、これまた人それぞれにイメージがあり、いろんな定義ができる言葉だから、難しいんですけども。
ただ、言いたいのはですね、ホッとした→傷が癒えた→愛を感じた、という順で癒しというのは深まっていくもので、愛を感じたというところまでいって初めて本当に癒されたと言えるんじゃないか、そう思うようになってきたのです。
となると、そもそも本当に癒される必要があるのか?っていう話にもなってくるんですけれど、ヨガの教えをここで使わせていただくと、人は愛(神)を(自分もまた愛の中にあるということを)思い出すために生まれては死んでというのを繰り返しているので、最終的には癒される必要があるんだと思います。今この人生でそれをやるのかどうかは人それぞれでしょうが…。
何が言いたいかというと、癒される(もしくは癒す)って、人生においてすごく重要度が高いってことなんです。癒しっていうと、なんだか弱っちいような感じがあって、「自分は大丈夫」って逃げちゃう人もいるんですけど(かつての私)、人生を前向きに生きたいからこそ癒しに取り組む必要があるんだと思うのです。
しかも、ホッとした、傷が癒えた、というところから、さらにその先の本当に癒しに。
本当に癒される=愛を感じる、というのは、言い替えると、とんでもない傷を与えられたけれど、それを体験したことは自分の人生にとってのギフトでしかなかったというふうに受け取れるようになること、です。
ここで重要なのが、愛を「感じる」ということで、「わかる、わかる、愛だったんだっていうのはわかる」というのはちょっと違うんですね。
「わかる」というのはまだ知識としてわかっているだけで、ともすると、感情を抑圧することになっちゃうんです。
悲しい、つらい、腹が立った、という感情は抑圧しては癒しは起こらないのです。まずそれらを認めて受け入れて出す。すると、その後、愛を「感じる」がやってくる…。
「感じる」までくると知識は体験になります。これもまたヨガの教えでいうと、愛を知るでは足りず、愛を体験するというところが人生の目的なんですね。
私がこの人生でご縁あって出会ったヨガとIntegrated Healingは、「愛を感じる」方へと舵をグイッと向けて、それを体験できるように強力な後押しをしてくれるツールだと実感しています。
私はごく普通の人間で、毎瞬、愛を感じていられるわけではないけれど、それでも自分探しの旅が始まった20年前に比べたら、学んできた知識を体験し納得するフェーズに今入ったのかもなぁ感じることが増えました。
人生はいろいろあるけど、やっぱり面白い。
先日50代に突入したのですが、まさかそんな心境で50代を迎えられるとは、20年前の私は思ってもいなかったので、ヨガやIHヒーリングを通して自分が得たものを世界に還元していきたいなと気持ちを新たにしています。同じように試行錯誤している人に届けばいいな、と思ったりしますが、同時に、あまりいろいろとこねくりまわさず、ただ淡々とやることをやり、目の前にいる人と共に最高最善を生み出していく、ということを丁寧にやっていきたいな、という心持ちでいます。
ヨガクラスへのご参加、Integrated Healingセッションのお申し込み、いつでも歓迎しています。癒せる部分はどんどん癒して、共に人生、謳歌しましょう!
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余談ですが、アメリカにヨガを伝えたと言われるパラマハンサ・ヨガナンダは、「年齢を人にいう必要はない。なぜなら世間には〈その年齢ならこうだ〉というイメージがあって、年齢を公言することで世間のイメージの影響を不必要に受けてしまうから」というようなことをおっしゃっています。大変に説得力があるので、今後はあんまり年齢の話はしないようにしたいと思います(世間のイメージに翻弄されないようになるのが理想なんでしょうけど、翻弄されないためにパワーを使う必要があるうちは年齢を言わないでその分のパワーを他に使った方がいいだろうな、と!)