人生で初めてのヨガクラスに参加したのは2005年の初春でした。
当時、東急東横線の祐天寺で一人暮らしをしていたわたしはある朝、バスに乗って渋谷まで行き、雑居ビルの中にあるヨガスタジオでのクラスに参加しました。
その前年、わたしは抑うつ状態になってアームカットをしていました。
心療内科とカウンセリングのおかげで、2005年にはアームカットをするほどの状態は脱していましたが、時折消えてしまいたい気持ちになるということは続いていました。
30代に突入したばかりだったわたしはもがいていました。
人と環境に恵まれ、コピーライターという憧れの職に就けたのはいいものの、望んだような結果は出せていませんでした。
人一倍の努力はしていたつもり。けれど、頑張るほど空まわり。実力&センス不足を突きつけられ、目の前に立ちはだかる大きな壁の向こうに行く方法がわかりませんでした。
結婚すればこの負け戦から勝って抜け出せるとどこかで思っていました(当時流行っていた「勝ち組」の影響を受けていたのかも)。
でも、恋愛も恋愛でうまくいかず、わたしのことを好きといってくれる人はいるのに、わたしが好きになるのは堂々と付き合える人じゃない人ばかりでした。
望みはキャリアを成功させるか、結婚すること、なのに、どちらに向かって進もうとしても手応えがなく先が見えない…そんな中でのヨガクラス、最後のシャバアーサナ(屍のポーズ)で、期せずして涙が溢れてしまいました。
幸いホットヨガだったので、涙も汗もよくわからないだろうと、わたしはそのまま涙を流し続けました。
なぜ泣いているかはわかりませんでした。
ただ、自分がどれだけ疲れていたか、無理していたかに、そのとき初めて気がついた…というか、そのとき初めて認めざるをえなくなったんだと思います。
シャワーを浴びてすっぴんで乗り込んだ帰りのバスはほかぽかとあたたかかったことを覚えています。
東京の街を車窓から眺めながら、脳内では当時流行っていたケツメイシの『さくら』が流れていました。
不意に胸の奥に声が響きました。
「苦しいのは、全部を自分の思う通りにコントロールしようとしているからだよ」
ものすごく優しく、圧倒的な安心感のある声でした。
「もっとリラックスして委ねていたら、あるべき形に物事は落ち着く。それは、自分が今思い描いているよりもずっと幸せな形だよ」
ヨガの後で緩んでいたからでしょうか、わたしは疑うことなく、「ああ、そうだろうな」と納得して、ほっとして眠りに落ちました。
そのときの夢だったのか、しばらく後で見た別の日の夢だったのか、忘れてしまったのですが、当時わたしが好きだった人(後に結婚して死別する前夫)が出てくる夢を見ました。
彼は小さなガラス玉をわたしに渡してこう言いました。
「時間がかかるけど、待っていて」
それで、わたしは、当時、堂々と付き合うことができなかったその人とはキッパリと距離を置いて、自分のことに集中して待とうと決めたのでした。
(実際にそこからその人と再会して結婚するまでには紆余曲折の泥沼があったのですが)
あの日、あのヨガの帰り道に、わたしの胸で響いた声は、ハイヤーセルフなのか、守護霊なのか、妄想なのか、わかりません。
正直にいうと、それが何であるかを確定することにはわたしはあまり興味がありません。
わたしにとって、その声が自分を包んでくれた安心感、それが確かな感覚であれば、それでいい。
その声は体(そして心)が静まったときに聞こえやすいってことをその後に体験で学びました。
言い方を変えると、脳の周波数が変わると知覚しやすくなるんだと、そう思っています。
ヨガは、何千年も前からそこ(脳の周波数&構造を変えること)を意図して体系立てられた実践的な教えです。
わたしがヨガは自分らしく生きるための土台となるツールだと思っているのはその点において。
ヨガは、自分の内なる声と繋がりやすくしてくれるんです。
実際に自分の潜在意識とダイレクトにつながれるIHも然り。
ただ、冒頭のわたしの体験のように、自分が望みだと思っていることが、内なる声の望みとは違うってことが往々にしてあります。
望みに向けてどんなに動いても、そこがズレていると苦しいんです。
だから、まずは両者を見極めることが自分らしく幸せに満たされて生きる一歩だと思っています。
そのためには体と心を鎮めて、自分の声を聞く時間を持つこと。
聞いた声をリラックスして、でもちゃんと行動にしていくこと。
書くと簡単だけど、ちゃんとやるのは簡単ではないそのことをちゃんとやると、内側の声とのズレがどんどん小さくなって、日常がどれだけ奇跡に満ちているのかを感じ取るようになります。
その奇跡、体感しませんか?