“わたしは、自分がコントロールできないことへの責任を手放します”
IHプラクティショナーのJUNKOちゃんが、わたしの潜在意識からのメッセージを読み上げた瞬間、「ふはっ」と吐息のような笑いが漏れました。
と同時に、何かがスルスルと抜けたかのように体が軽くなりました。
言われるまで思いもよらなかったけれど、言われてみればここのところのわたしの行き詰まった感覚はまさに「自分がコントロールできないことに責任を持とうとしている」せいだと心から納得がきました。
じつは春ごろからずっとチャレンジしていることがあるのです。地味で、時間がかかるうえ、その先どうなるかわからないチャレンジ。
チャレンジ自体は楽しいし、ワクワクもしています。
結果がどうあれやりとげることに意味があると思って進めよう、そう頭ではわかっています。
でも、実際に結果が期待外れになったとき、「それでもやったことに意義があった」と心から思えるか、正直自信がありません。
そうすると、チャレンジへの手が止まって、もっとわかりやすく未来につながるような勉強なり活動なりをした方がいいんじゃないかという思いが出てきます。
でも、そっちだって本気でやればパワーがいる。だったら、本当にやってみたいチャレンジにそのパワーをかけてみたい気もする。
そんなふうにぐるぐると同じところを行ったり来たりしていました。
自己不信? 自己無価値観? 内観を続けていたのですが、どれもしっくりきません。
そんなときに受けたIHセッションで、「おまえさん(自分)は、チャレンジの結果という、自分の責任ではどうしようもないところまで責任を背負おうとしているから動けないでいるんだよ」と潜在意識から指摘されて、おおおおおおおおおお、と目から鱗という言葉では足りないくらいに視界が一気に晴れたのでした。
全身全霊をかけてチャレンジしたものごとがうまくいかなかったら、もうそれ以上、何を頑張ればいいか、わからないじゃないですか? そしたら、もう打つ手がなくて途方に暮れる。わたしはそれが怖かったのです。本当にやってみたいことだからこそ、精一杯努力しても叶わなかったときの落胆はそれこそ身を切られるようなつらさだろう…考えるだけで恐ろしい。
でも、それって、自分の期待通りにならないことは悪いこと、という前提になっちゃっているということでもあります。言い換えれば、天の采配を信じていない。セッションを終えて、気づきました。
全力でやってうまくいかなくても、それで人生終了じゃない。そのチャレンジが人生をかけてやってみたいことなら、いつか思いもよらぬ形で叶うかもしれない、そんな希望まで捨てなくてもいい。もしかしたら、全力でやってみることで案外満足できちゃって、次に人生をかけたい別の何かを見つける可能性だってあります。
いずれにしても、天の采配の領域まで「もっと何かできたのでは」と思う必要ない。
そう心から思えたら、体が軽くなって、爽快な気持ちになりました。
IHセッションの面白いところは、この気づきがプラクティショナーからの指摘ではなく、自分の潜在意識から出てくるものである、ということ。だから、「それはあなたの考えでしょ、わたしはそうは思えない」ということがまずないんです。
わたしはわりに自己内観が得意な方だと自己評価していますが、それでもやっぱり一人では限界があって、顕在意識と潜在意識の境界がゆるむ、安心できる設定の中で、プラクティショナーが対話してくれるからこそ出てくるものがあると毎回思います。
最後に、わたしがセッションしてもらったJUNKOちゃんのインスタをこちらにご紹介しておきますね。
わたしもIHセッション、対面とオンラインでやっています。
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