yoga & healing with Satoko

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弱みを見せられなかった理由

7〜10分

リード

その人の細い足を見たとき、わたしは反射的に目を逸らしていました。

彼は病気をして、長い治療を終えて退院したところでした。病気になる前は毎日サーフィンをしていた人。今、サーフィンもままならない体であることはきっとつらいに違いない。それでわたしはその細い体を直視できなかったのだと思います。

ところが彼は笑っていました。「今はまだサーフィンはできないし、いつ復活できるかもわからないけど、また寝そべったまま滑る練習から始めるよ」そう言って。それから、「見てくれよ、こんなに痩せちゃったんだよ」と、お手上げのようにおどけて手を上げました。そんなふうに笑えるようになるまでにきっと葛藤はあったはず。でも、少なくとも、今、目の前に立つその人は、強がるでもなく、恥じるでもなく、卑屈になるでもなく、ただありのままを受け入れている人として立っているように見えました。

それでわたしは目を逸らしたのは自分側の反応だったと気がつきました。弱っていることを見られるのは嫌だろうというのは、わたしが持っていた価値観でした。ただ、その価値観はあまりにわたしそのものと一緒になっていたため、今の今まで気づけなかったのです。

そこから、わたしは深く自分に潜ることにしました。なぜ弱っていることを見られるのは嫌だと自分は思っていたのだろうか?

問いを持ちながら瞑想をしてガイダンスを求めると、その後にちゃんとヒントみたいなものがもたらされます。わたしの脳裏に蘇ったのは、母と折り合いが悪かった小学校の頃、父に助けを求める手紙を書いた記憶でした。

結局、手紙は父に読まれることなく、母が先に見つけました。確認したわけではないけれど、翌朝の母の怒りに満ちた背中が、すべてを語っていました。当時のわたしは父が母に手紙を見せてしまったのだと思い込みました。ただ、このときのことは、後にうつ状態になって心理カウンセリングに通ったときにも出てきて、そのとき、父が母に見せたわけではなく、父が見つける前に母が見つけてしまったのかもしれないという新しい解釈ができるようになりました。それによって、そうと知らずに隠し持っていた父(男性)への怒りと絶望はずいぶん解消されました。

ところが、その記憶がまだ何か今のわたしに影響しているらしい。そこからさらに深く潜るために、IHセッションを使いました。一人で考えて掘っていくのとは違う深さに、IHは連れて行ってくれます。セッションで浮かび上がってきたのは、二歳になる直前の記憶でした。股関節脱臼の疑いで足を固定された、意識にはない記憶。

その記憶に繋がってみると、「このまま何もできないまま死んでしまうかもしれない」という不安が出てきました。さらに、「どうもがいてもどうせ動けない」という諦めのような絶望感。「自分ではどうしようもできない」というパニック。

意識できていなかっただけで、そういった感情は体の奥深くにまだ残っていたようです。

その感情を思い出せたとき、小学校の頃、父への手紙が届かずに、母をさらに怒らせてしまった出来事との繋がりも見えてきました。わたしはたぶん股関節脱臼のときと同じくらいの不安と絶望、パニックにあって、必死で父に助けを求めたのです。でもその結果はもっと母を怒らせることになった。それで幼いわたしは弱みを見せるとさらに窮地に立たされる、ということを学習した。だから弱い自分は見せられない。そして、見せている人を見ると、直視ができない。

なーんだ。

覗き込んでしまうと、大人の今のわたしは笑えます。でも、状況が整理できずに傷ついたままでいる子どもはまだそこにいる。セッションの中で、わたしはその子どもに初めてちゃんと会いに行けた気がします。


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